昭和63年卒 同窓会開催報告

2017年12月22日(金)
  • 日時:平成25年9月21日(土)PM7:00~
  • 場所:宮崎観光ホテル 料亭山吹
  • 参加:恩師3名、同窓生21名
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吉次信男、福本哲也
(昭和52年卒 関東地区幹事)

 昭和52年(1977年)3月卒業の卒業後40年の記念同窓会を、静岡県熱海市の「料理旅館渚館」において、2017年10月14日(土曜日)に開催しました。
 私達卒業生の同窓会は、卒業後5年毎に宮崎から始まり福岡、東京、滋賀等、最寄りの地区に住んでいる卒業生が幹事を持ち回りで開催し、今回で8回目となります。
 今回は卒業生38名中20名の参加と横田漠先生と中澤隆雄先生のご出席を頂きました。
38名の中には連絡が取れない人(5名)や、ご家族の都合等で出席出来ないと連絡があった卒業生がいましたが、40年目にしてはかなり高い出席率ではないかと思います。
 両先生のご挨拶で会は始まり、各人の学生時代の昔話と近況報告であっという間の楽しい時間でした。例年通り最後は「土木粋歌」の合唱と、最近肺の一部を切除したため学生の頃のような大声が出せないと尻込みしていた(実際は学生時代よりも大声で安心しましたが)山下徳太郎君の「フレーフレー土木」というエールで散会し、旅館内のカラオケへ向かいました。
 同窓会当日も翌日も生憎の小雨模様だったため、初めて熱海を訪れた方々が市内観光出来なかったのは残念なことでしたが、5年後のクラス会は山下徳太郎君が現在住んでいる福井県、10年後は林田輝久君が住んでいる長崎県五島で開催するということで皆さんに賛同頂き、それまでは皆元気でいることを誓ってそれぞれ帰路につきました。
 

山下徳太郎君、深澤朗君、押川昌弘君、野元好夫君、森山克美君、吉次信男君、廣重初則君
田中文彦君、林田輝久君、本山謙治君、高倉正徳君、阿部隆文君、井手浩三君、西川勝義君
津川智明君、福本哲也君、中澤隆雄先生、横田漠先生、森光宏君、渡辺望君
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昭和39年卒 同窓会報告

2017年08月28日(月)

酒井 英明(昭和39年卒)

 東京オリンピックの開催、東海道新幹線の開通と高度成長期の始まりつつある昭和39年に我々の仲間25名は、官庁・ゼネコン・コンサル等々に就職し、全国に散らばって行った。その後元気だった若き企業戦士は、高度成長期を支えて功労者として頑張ってきたが、半世紀以上が過ぎ、メタボとなり、髪は薄くなり白髪が混じり、足腰も弱くなり背中も曲がったり、また何らかの病気を抱えていたりしていた。
 25名の内、石原・岩﨑・長友・冨重の4君は既に亡くなり、池田・遠座・勝本・川上・後藤・酒井・田水・立山・馬場・浜川・久野・藤井・松尾・与那城・渡辺の15名が平成29年5月23日(火)、青島のリゾ-トホテルに集まった。それまで約10年毎に開催されていた宮崎での同窓会も、定年退職後、太宰府、湯布院、桜島、長崎、京都、大阪と約1年半毎に開催されるようになった。しかし、同窓会も今度が最後だろうと、皆の提案で懐かしき宮崎でと、久しぶりの開催が決まる。身体が衰えてきたとはいえ、声だけは皆達者で「よう!!久しぶり、元気だったか!!??」とそれぞれが再会を喜び合った。趣味のこと、家族のこと、病気のことや近況を語り合い、ビ-ルや焼酎を酌み交わす内盛り上がり、あっという間に3時間が経過した。
 翌朝、元気な者は、片道30分弱の青島に出掛けた。鬼の洗濯岩に囲まれたビロウヤシの茂る青島は、今も全く変わることなく日向灘に浮かんでいる。8時過ぎからホテルを後にし、車4台に分乗して木花の宮崎大学の新キャンパスへ向かう。移転して既に30年近くが過ぎていると思われるが、まだ一度も訪ねていない者も居て、今回の見学となった。我々の孫のような学生が次々と通学してくる中、出口先生と久保さんが出迎えて下さり、出口先生から懇切丁寧にキャンパスの概要を受けた。その後、久保さんに工学部の講義棟や実験実習等の案内をして貰う。それにしても比較にならないほどの素晴らしい環境の中にあるキャンパスだ。忙しい中、出口先生、久保さん本当に有り難うございました。
 また旧宮崎大学の跡地も訪問。工学部の跡地は、JAの大きなビルと広い駐車場となり、全く当時の面影は残っていない、また農学部や学芸学部の跡地には、公共の建物等が建てられ緑豊な公園となり、宮崎市民の憩いの場に変身していた。最後に平和台公園に出掛け、工学部正門からここまでレベル測量の実習を行った事等を思い出す。当時見渡すことのできた宮崎市街地の建物も、樹木が大きく成長し見晴らしは悪くなっている。この公園内のレストランで昼食会とし、我々の「喜寿同窓会」は、終わった。そして再会を約束して解散し、それぞれの家族の元へと帰って行った。その解散を待っていたかのように南国宮崎に小雨が降り始めた。
 今回の同窓会が最後となる筈であったが、相変わらず皆元気だと言う事で、次回も1年半後に関西で開催されることになった。それまで健康に留意し、元気な顔をまた見せて欲しいものである。また今回欠席者の参加も期待している。地元の世話役に感謝します。

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日時2016年4月15日    会場宮崎市・宮崎観光ホテル
*熊本同窓会(2014年4月)に次いで、宮崎で「藤本先生の米寿祝」を合わせて開催した。藤本先生ご夫妻には、大変喜ばれ心のこもったお言葉を頂き更にお礼状まで頂きました。
*参加者は、ご招待の藤本先生ご夫妻、柏田、川田夫妻、木下、楠本夫妻、佐々木、財津、田口、土持夫妻、松尾夫妻、峯尾、安田夫妻、山元の17名で先生ご夫妻を囲んで、盛大に和やかなうちに、納めました。
[特記すべきことは、
・4月14日21時26分ごろ、「平成28年熊本地震」と言われる大地震(益城町〈ましきまち〉で九州で初めての震度7)が発生し、その時九州全域では震度6~3でした。
・15日21時まで震度1以上の余震観測は147回・断続的に続いた。
・16日午前1時25分ごろ熊本県と大分県で震度6強の地震が発生した。この熊本震度6強は、阪神大震災と同じ規模でした。
・その時刻ホテルで寝ていて「ど~ん」 (震度3~4)と大きく縦に揺れた。]
*15日皆さん地震で大事ないか、と心配していたら、財津君から受付だけど何時までに行けばよいかと連絡が入り、つづいて皆さんと連絡が取れた。
・田中謙吾君と米良君は地震で来れないとのことです。
*16日の帰りも、皆様がどのようにして、どのようなルートで帰られたのかのか不思議でならなかった。いずれにしても時間をかけてご苦労されたことだと思う。
・皆様全員が無事に帰られてホッとした。宮崎同窓会ご苦労様でした。楽しく過ごせました。
*同窓会は、卒業10周年に濱田が立上げ、第16回宮崎同窓会をもって納めた。

(追伸)
*第16回同窓会に於いて議題となりました同窓会の在り方について検討した。
①第16回宮崎同窓会(参加者14名・不参加者11名)
    不参加の理由(社会貢献1名・身体的障害7名・その他3名)
②参加者の地域(九州11名・関東2名・近畿1名)
③次回開催も出席者はほとんど変わらないと思われる。
*以上の状況を踏まえ「今後は定期的な開催は行わず、気楽な同好会的なものとする。」
               しばらくは「福岡」で開催する。
「遠方より来福の機会があるときは、連絡を頂ければ九州在住者に連絡をし、集まった者で会合を開く。」
*連絡窓口は「安田又は峯尾」とする。
上記により、しばらくは運営を進めたくご了解願います。
2016年6月吉日
九州37会一同
 
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50周年同窓会報告

2017年01月24日(火)
足立俊一(昭和41年卒)

昭和41年3月に宮崎大学を卒業した同級生27名は石松康英、前田栄作の両君を亡くしたがまだ25名が元気に老境を楽しんでいます。平成28年3月で卒業50周年となるのを機会に50周年同窓会を出雲の地で開催しました。参加者は25名の内15名が参加し島根県玉造温泉ホテル保性館で平成28年11月15日から17日まで2泊3日で観光地を巡りました。日本一の庭園と言われる足立美術館や平成27年に国宝に指定された松江城と堀川遊覧、出雲大社など観光名所を巡りました。2晩続いた宴会では昔話に花を咲かせ、孫の可愛さや健康法などが話題の中心でした。最後の宴会ではカラオケで昔にかえり高校3年生や青い山脈を全員で熱唱しました。 年は取りましたが今後も元気で3年後の再会を約束して散会いたしました。


(写真前列右側から山下亮二、高畑征三郎、西村正秀、岡山義人、大塚龍亮、日高嘉明、佐々木勝朗、後列右側から足立俊一、田中郁亮、山下文洋、米良晃一、大場興司治、高松隆一、波多野信、大迫義一以上15名参加)
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中村 和明 (昭和30年卒)
 
平成21年6月5日(金)

 宮崎市「ウエルシティ宮崎」において昭和30年卒同窓会(サーティ会)を開催しましたので報告します。

 私たち昭和30年卒はサーティ会の愛称のもとに集い、ほぼ毎年北九州、宮崎を中心に九州各地で例会を開催し、サーティ通信を年1回発行するなどして近況報告、情報交換を重ねてきました。  (平成14年第22号で中止し、平成17年珠玉編で終刊する)

 前回は平成17年5月、卒業後50周年記念同窓会を全員参加のもとに開催しました。それから4年、会員の多くが喜寿77歳に達するのを記念して「喜寿サーティ会」を開催しました。出席者は12名(柴田、是石、同夫人、田原、辻、中村、藤、前田、同夫人、吉原、同夫人、渡辺)

 出席者はそれぞれに健康上の問題などを抱えてはいるが、いわば一病息災、家族の協力もあって出席でき、再会を果たせたことを喜び合いました。

 宴会では、専ら近況報告と情報交換に終始し、カラオケは省略せざるを得ませんでした。人生の次の節目を80歳に置き、そこで次回の傘寿サーティ会を持ち事情の許す会員は集まろうと言う感情がいやが上にも高まったのも当然。

 会場からは幾度も「営業時間締め切りです」の催促を受けながらも、立ち去りがたい思いで語り合った。(私は、後片付けも終了した会場に一人眠っておりました。ほっとしたのでしょうか、恥ずかしい限り)

平成21年6月6日(土)

 朝食後解散。私たちは前回の50周年記念会から4年の間に、井手、押川(俊)、櫛間、田上、の4会員を失いました。居住地が遠隔地のために、葬儀に列席できなかった数名も含め、押川、櫛間、田上会員の墓参を果たすなどして、それぞれ帰途に就きました。

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昭和47年卒同窓会報告

2012年11月14日(水)
田中 豊(昭和47年卒)

 宮崎大学土木工学科 47年卒業 同窓会は、これまで5年毎の開催でありましたが、定年も迎えることだし今後は2~3年毎に開催し次は熊本でやろうと、前回の二日市で決まったところです。

 このため、開催日時を事前連絡するなど準備致しましたが、それぞれ定年後も社会活動に専念していたり、また、三連休ということもあり日程調整が出来ず、結局は、横浜の岡本君を始め全国から9名の参加となりました。しかし、それぞれの厚い思いで、盛大(?)に開催できたましたことをまずもってご報告いたします。

 10月10日に台風一過のすばらしい秋晴れに恵まれた、ここ熊本の阿蘇内牧温泉を代表する石庭旅館「鵬閣」に集まり、ゆっくりと温泉につかり日頃の疲れを癒し、開宴と成りました。各自近況報告となりましたが、政権交代に伴う今後の土木行政の見通しから、余生は農業にチャレンジしている事、加齢に伴い体調不良になった事、そしてかわいい孫の誕生など、宴が進むにつれ話題は尽きず遂には部屋に酒を持ち込み、遅くまで阿蘇の夜を堪能したところです。

 翌日は、車2台に分乗して火口見学へ向かったものの風向きわるく規制中のため、火山博物館で地球の成り立ちを再勉強し、阿蘇外輪山の眺望所「大観峰」から世界最大のカルデラの雄大さを実感したところです。

 我々47卒生も既に2名が故人となり、寂しくなりましたが、次回開催を九州新幹線全線開通後の平成23年春に、鹿児島での再会を固く約束し解散となりました。

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昭和35年卒同窓会in東京

2012年11月14日(水)
安藤 久司 (昭和35年卒) 
 

 平成20年11月18日(火)、東京は浅草、浅草寺近くの老舗「やっこ」で同窓会を開催。ホテルは一軒隣りの「ユニゾ浅草」である。現存する当クラスのメンバーは20名、全員が古希を迎えた現在、初の東京開催ではたして何名が参加できるか気になる。とりあえず東京周辺に在住の6名を発起人とし、小生と木下君、芦刈君の3名が事務局メンバーとなり準備にとりかかる。今回は東京の地域特性からホテルと宴会場を分離し宴会の翌日は都心部の見学を行うこととした。

 当日は福岡、宮崎、愛媛の各県から5名、地元メンバーを加え11名が集合、何十年振りの友もいて宴会は予定時間を大きくオーバー、とりあえず中締めとなる。二次会はホテルの特別室、一次会はビール、焼酎であったので少しグレードアップしたブランデーとし、つまみは千葉名産の落花生を加えた。明日は10㎞近いウォーキング、やむを得ず1時間程でカラオケ組と残留組とに分かれ、さらに旧交を温める。

 さて、翌日は都心部見学である。コースは銀座線浅草駅(9時)を振り出しに上野・有楽町・銀座・新橋・日本橋・東京(八重洲~丸の内)・渋谷・原宿・乃木坂・六本木ゴールは東京駅(17時)である。当日は快晴、見学ツアーにはベストの天候である。8時45分雷間前に集合、日本で最古の地下鉄である浅草・上野間を乗車、アメ横丁を左に見て不忍の池へ上野公園に入り西郷さんの銅像の前で記念撮影。園内を足早に通りJR上野駅から東京へ、東京駅で手荷物をコインロッカーに預け有楽町へ、再開発事業で一新した駅前広場から有楽町マリオン(西武・阪急両デパート及び多数の映画館が入る複合ビル)をぬけ年末ジャンボ宝くじで人気の西銀座チャンスセンターに立寄る。

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㈱国土開発コンサルタント 
有田 勉(平成7年卒)

1.はじめに

 私は平成7年に宮大土木を卒業し、現在勤務している㈱国土開発コンサルタントに入社しました。入社後この業界で働くなかで、技術士の方々の活躍を間近でみながら、自分も将来は技術士の資格を取得したいと、漠然ではありましたが思いました。また、昨今の不景気、受注環境の変化のなかで、建設コンサルタントの業界で働く者としては絶対に取得しておくべき資格であると考え、平成16年度から技術士試験を受験することにしました。

 平成17年度の受験では筆記試験に合格したものの口頭試験で不合格、平成18年度の受験では筆記試験で不合格となり、平成19年度の受験でようやく合格し、念願の技術士(上下水道部門:下水道)となることができました。


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「特別実習」のお礼

2012年11月14日(水)
平成21年度3年次(平成19年入学)担任  土手 裕
 
 平成21年度の夏期特別実習(インターンシップ)では、30名の実習生(過年度生1名含む)を官公庁ならびに民間会社に受け入れていただきました。基礎力および応用力も未だ十分には身につけておらず、社会常識にも疎い学生の実習をお引き受けいただきましたこと、深く御礼申し上げます。
 大学の教室内での講義とは全く異なった貴重な体験によって、学生が幾分かは成長した様子がうかがえ、実社会での経験が何にもまして重要であることをつくづく感じているところです。この経験が、将来学生が土木技術者として生きていく上できわめて有益であることは間違いありません。このような実習による教育効果には大きなものがありますが、受け入れて頂ける各機関の皆様の暖かいご支援があってこそのものであり、今後とも「特別実習」に対してご高配、ご協力をいただきますようお願い申し上げますとともに、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。
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