- 日時:平成25年9月21日(土)PM7:00~
- 場所:宮崎観光ホテル 料亭山吹
- 参加:恩師3名、同窓生21名
宮崎大学土木会と母校のニュースをお知らせします。新しい卒業生の交流の場にご利用下さい!
酒井 英明(昭和39年卒)
東京オリンピックの開催、東海道新幹線の開通と高度成長期の始まりつつある昭和39年に我々の仲間25名は、官庁・ゼネコン・コンサル等々に就職し、全国に散らばって行った。その後元気だった若き企業戦士は、高度成長期を支えて功労者として頑張ってきたが、半世紀以上が過ぎ、メタボとなり、髪は薄くなり白髪が混じり、足腰も弱くなり背中も曲がったり、また何らかの病気を抱えていたりしていた。
25名の内、石原・岩﨑・長友・冨重の4君は既に亡くなり、池田・遠座・勝本・川上・後藤・酒井・田水・立山・馬場・浜川・久野・藤井・松尾・与那城・渡辺の15名が平成29年5月23日(火)、青島のリゾ-トホテルに集まった。それまで約10年毎に開催されていた宮崎での同窓会も、定年退職後、太宰府、湯布院、桜島、長崎、京都、大阪と約1年半毎に開催されるようになった。しかし、同窓会も今度が最後だろうと、皆の提案で懐かしき宮崎でと、久しぶりの開催が決まる。身体が衰えてきたとはいえ、声だけは皆達者で「よう!!久しぶり、元気だったか!!??」とそれぞれが再会を喜び合った。趣味のこと、家族のこと、病気のことや近況を語り合い、ビ-ルや焼酎を酌み交わす内盛り上がり、あっという間に3時間が経過した。
翌朝、元気な者は、片道30分弱の青島に出掛けた。鬼の洗濯岩に囲まれたビロウヤシの茂る青島は、今も全く変わることなく日向灘に浮かんでいる。8時過ぎからホテルを後にし、車4台に分乗して木花の宮崎大学の新キャンパスへ向かう。移転して既に30年近くが過ぎていると思われるが、まだ一度も訪ねていない者も居て、今回の見学となった。我々の孫のような学生が次々と通学してくる中、出口先生と久保さんが出迎えて下さり、出口先生から懇切丁寧にキャンパスの概要を受けた。その後、久保さんに工学部の講義棟や実験実習等の案内をして貰う。それにしても比較にならないほどの素晴らしい環境の中にあるキャンパスだ。忙しい中、出口先生、久保さん本当に有り難うございました。
また旧宮崎大学の跡地も訪問。工学部の跡地は、JAの大きなビルと広い駐車場となり、全く当時の面影は残っていない、また農学部や学芸学部の跡地には、公共の建物等が建てられ緑豊な公園となり、宮崎市民の憩いの場に変身していた。最後に平和台公園に出掛け、工学部正門からここまでレベル測量の実習を行った事等を思い出す。当時見渡すことのできた宮崎市街地の建物も、樹木が大きく成長し見晴らしは悪くなっている。この公園内のレストランで昼食会とし、我々の「喜寿同窓会」は、終わった。そして再会を約束して解散し、それぞれの家族の元へと帰って行った。その解散を待っていたかのように南国宮崎に小雨が降り始めた。
今回の同窓会が最後となる筈であったが、相変わらず皆元気だと言う事で、次回も1年半後に関西で開催されることになった。それまで健康に留意し、元気な顔をまた見せて欲しいものである。また今回欠席者の参加も期待している。地元の世話役に感謝します。
宮崎市「ウエルシティ宮崎」において昭和30年卒同窓会(サーティ会)を開催しましたので報告します。
私たち昭和30年卒はサーティ会の愛称のもとに集い、ほぼ毎年北九州、宮崎を中心に九州各地で例会を開催し、サーティ通信を年1回発行するなどして近況報告、情報交換を重ねてきました。 (平成14年第22号で中止し、平成17年珠玉編で終刊する)
前回は平成17年5月、卒業後50周年記念同窓会を全員参加のもとに開催しました。それから4年、会員の多くが喜寿77歳に達するのを記念して「喜寿サーティ会」を開催しました。出席者は12名(柴田、是石、同夫人、田原、辻、中村、藤、前田、同夫人、吉原、同夫人、渡辺)
出席者はそれぞれに健康上の問題などを抱えてはいるが、いわば一病息災、家族の協力もあって出席でき、再会を果たせたことを喜び合いました。
宴会では、専ら近況報告と情報交換に終始し、カラオケは省略せざるを得ませんでした。人生の次の節目を80歳に置き、そこで次回の傘寿サーティ会を持ち事情の許す会員は集まろうと言う感情がいやが上にも高まったのも当然。
会場からは幾度も「営業時間締め切りです」の催促を受けながらも、立ち去りがたい思いで語り合った。(私は、後片付けも終了した会場に一人眠っておりました。ほっとしたのでしょうか、恥ずかしい限り)
平成21年6月6日(土)朝食後解散。私たちは前回の50周年記念会から4年の間に、井手、押川(俊)、櫛間、田上、の4会員を失いました。居住地が遠隔地のために、葬儀に列席できなかった数名も含め、押川、櫛間、田上会員の墓参を果たすなどして、それぞれ帰途に就きました。
宮崎大学土木工学科 47年卒業 同窓会は、これまで5年毎の開催でありましたが、定年も迎えることだし今後は2~3年毎に開催し次は熊本でやろうと、前回の二日市で決まったところです。
このため、開催日時を事前連絡するなど準備致しましたが、それぞれ定年後も社会活動に専念していたり、また、三連休ということもあり日程調整が出来ず、結局は、横浜の岡本君を始め全国から9名の参加となりました。しかし、それぞれの厚い思いで、盛大(?)に開催できたましたことをまずもってご報告いたします。
10月10日に台風一過のすばらしい秋晴れに恵まれた、ここ熊本の阿蘇内牧温泉を代表する石庭旅館「鵬閣」に集まり、ゆっくりと温泉につかり日頃の疲れを癒し、開宴と成りました。各自近況報告となりましたが、政権交代に伴う今後の土木行政の見通しから、余生は農業にチャレンジしている事、加齢に伴い体調不良になった事、そしてかわいい孫の誕生など、宴が進むにつれ話題は尽きず遂には部屋に酒を持ち込み、遅くまで阿蘇の夜を堪能したところです。
翌日は、車2台に分乗して火口見学へ向かったものの風向きわるく規制中のため、火山博物館で地球の成り立ちを再勉強し、阿蘇外輪山の眺望所「大観峰」から世界最大のカルデラの雄大さを実感したところです。
我々47卒生も既に2名が故人となり、寂しくなりましたが、次回開催を九州新幹線全線開通後の平成23年春に、鹿児島での再会を固く約束し解散となりました。
平成20年11月18日(火)、東京は浅草、浅草寺近くの老舗「やっこ」で同窓会を開催。ホテルは一軒隣りの「ユニゾ浅草」である。現存する当クラスのメンバーは20名、全員が古希を迎えた現在、初の東京開催ではたして何名が参加できるか気になる。とりあえず東京周辺に在住の6名を発起人とし、小生と木下君、芦刈君の3名が事務局メンバーとなり準備にとりかかる。今回は東京の地域特性からホテルと宴会場を分離し宴会の翌日は都心部の見学を行うこととした。
当日は福岡、宮崎、愛媛の各県から5名、地元メンバーを加え11名が集合、何十年振りの友もいて宴会は予定時間を大きくオーバー、とりあえず中締めとなる。二次会はホテルの特別室、一次会はビール、焼酎であったので少しグレードアップしたブランデーとし、つまみは千葉名産の落花生を加えた。明日は10㎞近いウォーキング、やむを得ず1時間程でカラオケ組と残留組とに分かれ、さらに旧交を温める。
さて、翌日は都心部見学である。コースは銀座線浅草駅(9時)を振り出しに上野・有楽町・銀座・新橋・日本橋・東京(八重洲~丸の内)・渋谷・原宿・乃木坂・六本木ゴールは東京駅(17時)である。当日は快晴、見学ツアーにはベストの天候である。8時45分雷間前に集合、日本で最古の地下鉄である浅草・上野間を乗車、アメ横丁を左に見て不忍の池へ上野公園に入り西郷さんの銅像の前で記念撮影。園内を足早に通りJR上野駅から東京へ、東京駅で手荷物をコインロッカーに預け有楽町へ、再開発事業で一新した駅前広場から有楽町マリオン(西武・阪急両デパート及び多数の映画館が入る複合ビル)をぬけ年末ジャンボ宝くじで人気の西銀座チャンスセンターに立寄る。
≫ 続きを読む私は平成7年に宮大土木を卒業し、現在勤務している㈱国土開発コンサルタントに入社しました。入社後この業界で働くなかで、技術士の方々の活躍を間近でみながら、自分も将来は技術士の資格を取得したいと、漠然ではありましたが思いました。また、昨今の不景気、受注環境の変化のなかで、建設コンサルタントの業界で働く者としては絶対に取得しておくべき資格であると考え、平成16年度から技術士試験を受験することにしました。
平成17年度の受験では筆記試験に合格したものの口頭試験で不合格、平成18年度の受験では筆記試験で不合格となり、平成19年度の受験でようやく合格し、念願の技術士(上下水道部門:下水道)となることができました。