私は、元々港南造形に入学したら、油彩画を勉強したいなと思っていました。しかし、高校展の出品を募集する領域の中で「木工」という文字に目を惹かれ、先生に後押しされながら、初めての高校展で椅子を制作しました。この椅子が私の原点となり、現在の作品へ繋がってきた存在です。そして、気が付けば、大半を木工室で過ごしていました。当時の担任には「村木君は、デザインとかは出来ないからね」と言われる始末でした・・・。
大学では下宿をしていたために朝から晩までずっと木を触っているなんていう日も少なくありませんでした。大学では、自分の制作はもちろんですが、キャンバスの枠組みや展示台、友人の制作の手伝いを頼まれることもあり、とても充実していました。瀬戸内国際芸術祭にて学部長の助手をした時は、様々な作家さんや芸術祭に関わったスタッフ方とも知り合え、いい経験となりました。
私の周りには、夢を追っている人が多くいて、作家を目指している先輩や漫画家を目指している同級生がいます。私も彼らのようになりたいと思っていました。しかし、高校の時に作った椅子を見て、これまでの楽しかった思い出や知識を学んだ時の興奮、自分の考えを形に出来た時の嬉しさを思い出し、これだけ自由に制作できるようになったのは、これまで支えてきてもらった周囲の先生や先輩のおかげなのだと気付きました。また、真っ直ぐ自分のやりたいように出来ていたのは、丁寧に教えてくれた先生や制作している時、休憩の時の何気ない会話で生まれる楽しい雰囲気のおかげだと思いました。もちろん今でも、作り続けたいという気持ちはありますが、それは、誰かと共に作っていきたい というものであり、今までいただいたものを出来る限り返していきたいと考え、高校生に楽しい美術を伝えられるようになろうと決めました。
制作をしている時は、孤独になってしまう事が多いですが、美術は周囲の環境などに影響される割合が多く、自分と他者の感性と向き合い進めていくものだと私は思います。私は、港南造形で知り合った先輩や後輩と年に一度、一緒にグループ展を行っています。彼らは、愉快な個性あふれる人たちであり、独特な個性があるからこそ、お互いに刺激しあえる良き仲間です。
村木寛人(造形5期)