原田 ちあき(造形4期)
私が港南造形高校に入学した理由の1つが「中学の頃クラスで1・2番目に絵がうまかったから」だった。
デッサンの勉強は中学の美術室で独学で行った。そこそこうまいんじゃないの?なんて鼻息をフンフン出しながら受験し、無事合格。
合格した時も「まあ絵がうまいから当然でしょ」なんて思ったりしていた。
しかし入学式の日クラスが割り振られ自分の席につくと、クラスメイト達は先生の話も聞かず、デッサンで使うであろう鉛筆でゴリゴリと思い思いに絵を描いていた。しかもそれが信じられないほどうまいではないか・・・
中学時代、絵はコッソリ描くものだと思っていた私はその光景に衝撃を受けた。みんなのびのびと絵を描いている。そして私の何倍もうまい・・・。
港南造形高校にいる人間はみんな、私と同じく「中学の頃クラスで1・2番目に絵がうまい人」の集まりだという事にこの時初めて気づいた。強豪ぞろいの学校である。
中学時代ノートの隅にイラストを描いて、「上手に描けてしまった・・・」なんてうぬぼれていた自分をひどく恥じた事を今でもよく覚えている。
周りの絵のうまさに秒速で自信を失った私は、それでも自分には何か秀でた才能があるんじゃないか?と思い演劇部に入部した。
演劇だって芸術だ。私は声がでかいので「多分できると思う」という、これまた根拠のない自信をひっさげ、毎日放課後廊下の隅ででかい声を出す練習をしていた。演劇は私の性格に合っていたようで、演じるという事がたちまち楽しくなった。
高校演劇は秋頃に大会があり、それに向け毎日朝な夕な練習をした。練習に明け暮れ、涙を流すこともしばしばあった。めちゃくちゃ青春っぽい。青春っぽいというか、間違いなく青春だった。
私のいた学年は(今でもそうかもしれないが)非常にオタクが多かった。
ロッカーにおすすめの漫画をギチギチに詰めて「好きに読んでほしい」と布教する子や、同人即売会に出す漫画の締め切りに追われ、服の袖が常にスクリーントーンのカスだらけだった子、見た目はギャルなのに自分のロッカーや机、クラスの黒板に自作の漫画を毎週連載していた子、粘土で人形を作っている子、みんな思い思いの「好き」を大切にしていた。
先生達もそれを最大限に尊重してくれていたように思う。
授業もそうで、デザイン、日本画、絵画、染色、陶芸、手芸、ガラス、彫刻・・・みんな思い思いの「好き」を学校の中でじっくり丁寧に見つけ、育てていた。
「好き」の力が伝染して、自分や他の人間の創作意欲に繋がるいいループができていた。
「しのぎを削る」や「努力をする」とは少し違っていたように思う。各々が勝手に好きなものをこねくり回し、好きが故にどんどんいい物を作れるようになっていった。
当時は気づかなかったが、それをのびのびとサポートしてくれる先生と場所があるという事は、とてつもなく幸せな事だと思う。
もし人生を一度だけ巻き戻せるとするならば、私はもう一度港南造形高校で学友たちの出す真っすぐな「好き」の渦に飲まれたい。
あの独特な空気を味わえるのは本当に貴重だったし、この学校での体験は人生の中でも上位の宝だと思っている。
コロナ禍で動きづらい部分もたくさんあると思うが、在学生たちには自分の「好き」をたくさん見つけていってほしい。