S25年卒 髙林知子さんからの投稿です。
桜の美しく咲き揃った今春3月31日、新大阪駅近くの「ムラマツリサイタルホール」で私達のクラスメイト大木充枝様のスプリングコンサートが催されました。大木様はお子様の入学と共にママさんコーラスに入られ、今は女性コーラス“たまゆら”で続けられ今日に至ってられるそうです。
ご案内状の発送・プログラム作り・会場の交渉・当日の司会等すべてご自分で準備実行され、当日は全員無料でご招待くださいました。
途中の休憩を挟んで「バラの花咲く時」「愛あればこそ」シャンソンの名曲15曲を見事に美しく情感込めて歌い上げられました。
後日そのパワーの源をお尋ねしますと、「女学院で培われた精神で前向きに自分の持てる力で人に喜んでいただければ……」とおっしゃいました。
私達昭和6年(1931年)・7年(1932年)生まれは、19年(1944年)に大阪女学院高等女学校に入学。翌20年8月の終戦まで登校の途中も空襲に遭ったり、6月には戦火で全校舎が焼失した時代でした。戦後の一時期は森田院長先生を先頭に心を一つに明るく元気に焼け跡整理の奉仕を致しました。
先生方のご努力で逸早く建てられました何の飾りもない質素な講堂で毎朝全校生徒が集い行われた礼拝は何よりも懐かしく思い出されます。この講堂で行われた卒業式・謝恩会も私達の学年が最後で、翌1951年にはW.ヴォーリズ氏設計のヘールチャペルが献堂されました。世の中全体が貧しく乏しい時代に女学院で育まれました。「神を畏れ神様に愛され生きる」精神はバックボーンとなり今に連なる絆に感謝する日々でございます。
大木様は来年迎える米寿に再度リサイタルができれば……とおっしゃっています。その機会には皆様も同窓生としてご出席くだされば嬉しうございます。