S37卒 金持登久子さんから「クラス会便り」の投稿です。
2015年度会報(12月1日発行)の「クラス会便り」では、紙幅の都合上、ご了承を得て要約したものを掲載し、寄せられた全文と写真・資料はこのホームページで掲載させていただきました。
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「ヘールチャペル」
小宮山先生から河本睦子さんの話を是非とも聴きたいのだが、10名ほどで……との希望がよせられました。
私達が高校1年生の時ヘールチャペルで行われた講演会は、ハンセン病患者についてのお話でした。ハンセン病の人達の療養所での生活、強制隔離、家族との悲劇、らい予防法、偏見、差別等の実態を知った河本さんは驚き憤りを覚えたそうです。講演の最後に入所者の方との文通相手を募られたのですが、名乗り出たその中の1人が河本睦子さんでした。河本さんの文通相手の「塔 和子」さんは、1999年、第29回高見順賞を受賞された詩人です。その後2011年には「塔 和子」のドキュメンタリー映画「風の舞」が上映されました。
文通を始めた当時16歳だった河本さんに届く手紙には詩が書かれて来るようになり「詩集を出したい」という言葉が多くなったそうです。河本さんはただ塔さんが喜ぶだろうとの思いからお父さんに相談されたそうです。
塔さんから送られてきた34編の詩を読み終えたお父さんは詩集の製作にのめり込んで行かれ心をこめて作られたそうです。そして第一詩集『はだか木』は河本睦子さん父子の協力により1961年11月3日出版されました。
河本さんは塔さんと出会って後54年間共に歩んで来られました。(塔和子さんは2013年8月天国へ召されました) 在校時まだ柔らかい心の頃、それらの機会を作り与えてくださった大阪女学院の教育と先生方に今も感謝しています。「本当に大切なものは何か」を教えて貰い、その後の人生に「生きる大きな力」になりました。と、語ってくれました。
河本さんのお話を聴き終えて、人は誰かに力を貰って生きていくものだから。と、ある演出家が書いていたのを思い出しました。70年の歳月を振り返り見つめれば折に触れ誰かに力を貰いながらここまで来られたのだと思うのです。その日の力はヘールチャペルの延長線上にありました。
S37卒 金持登久子
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