東商出身の大先輩には、いろんな方面でご活躍されている高名な方が多いが、日銀の中で、特筆されるお二人の東商出身者を紹介しつつ 東商90周年のお祝いとしたい。
「鎌田正美」氏(旧5)「海老 徹」氏(旧18)。
お二人とも故人となられたが、東京在住の東商の後輩の面倒を良く見られた。
鎌田氏は、平成2年の東商70周年を記念し、東京にも同窓会を作ろうとの機運が高まり、同年9月の第一回会合において後輩の推薦で東京東商会の会長になられた。その後、横尾氏(旧13)佐藤氏(旧24)と続き、現在は4代目、会も20年20回と続いている。残念ながら鎌田氏の会への出席は第?回が最期になられた。
日銀時代は戦後大阪の復興と紡績金融の推進者として辣腕を発揮された。玉造小学校から東商を出て東商出の受験生が目指す旧制高等商業学校のうち、神戸高商を受けられたが、失敗。そこで一念発揮して猛勉強し、旧制大阪高等学校に挑戦し上位4番内に入る好成績で合格。 氏は、神戸高商に入学できなかったことが却って発奮興起の機縁となり「もし、神戸高商に合格していたら、随分違う人生を歩んでいた」と回顧されていた。
「海老 徹氏」は、東商卒業後昭和15年に日銀に入行。鎌田氏とともに、東京在住の後輩の世話をされることが多かった。同期のある日銀職員は、海老氏を「明晰・的確な事務能力、明るいユーモアのある性格から笑いの多い話術と絶大な包容力の持ち主」と評された。
東京会と鎌田会長とのパイプ役として初期のつどいには大変お世話になった、お一人と聞いている。
東京で催しされた海老彰子ピアノリサイタルや姉妹のピアノソロ、連弾コンサートでは、東商東京支部の友人が招待され、バッハ、ベートーベン、ショパンと三大作曲家の各々の特徴を弾き分けるという素晴らしい技能を披露し、感激されたと言う。苦労してお嬢様お二人の著名な音楽家を育て、万感の思いであったであろう。
戦前・戦後を通じて、東商出身者が日銀に就職したのは男女合わせて知る限りでは20名(戦前6名、戦後14名)。このうち、女性は5名で昭和40年卒が最初。男性では、昭和39年卒から43年卒まで毎年1名は、日銀に就職していたが、近年は男子生徒の減少や日銀の大卒採用増から、昭和46年卒が最後になった。直近の者をみると、商業学校ながら日銀入行者は、運動部(バレー、バスケット部)出身が多 いのが不思議なところ<因みに小生もバスケット部出身>。