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2016/04/20

2016年恩師だより

本年は恩師に質問にお答頂く形式でお便りをお寄せいただきました。
 質問の内容は…
 
①先生になろうと思った理由
 ②東商での一番の思い出
 ③今興味がある事
 ④同窓生に一言メッセージ

たくさんのお便りありがとうございました。恩師の皆様のご健勝と益々のご活躍をお祈り申し上げます。




★中川 勝義先生  昭和38年5月~56年3月
夏、冬、春の研修期間が長いこと。この研修期間に多くの著作をすることができた。著作物約30点ある。
簿記部を創設し、高校一年生で全商簿記検定1級に合格させたこと。和歌山大学経済学部に合格させたこと。 
ピアノ演奏、発表会でショパン「ノクターン2番」を弾いた。現在はドビッシィーの「夢」に挑戦している。また、囲碁は4段で大会決勝戦に2度出場。俳句もしている。
          「吾亦紅いつまで続く同窓会」
何歳になっても、新しいことに挑戦すること。これが一生ボケ老人にならない秘決だと思う。



★安原 敏夫先生 昭和42年4月~51年3月
勤めていた証券会社が証券不況に揺らいでいたことと、教職は卒業生からも懐かしく思い出してもらえる素晴らしい職であること。
ウォーキングテストや部活動の合宿。
年金・医療・介護・福祉などの社会保障制度。
活気がある同窓会総会に出席し、くつろいで、語り合いましょう。




★藤原 正明先生 昭和49年4月~55年3月
バレーボールが大好きで!専門のバレーの先生が居なかった。バレーボールを通じて心やさしい人間を育てたいと思った。
初めて東商に行った時、中庭がありその後ろに大きなグランドがあると思った。でも、中庭がグランドでした。東高校跡地に引っ越し、でも新しい校舎にもどることはなかった。残念!
日本のバレーボールがどうなるか?旧友との会合に参加すること。福岡、名古屋、東京、京橋、高槻どこでも行って楽しく話すこと。
東商、市岡商、私の教師人生の半分過ごした学校が無くなりました。すごく残念に思っています。初めて連絡させてもらいます。元気です。



★高西 正先生 昭和56年4月〜平成12年3月
父、兄2人が教師であった(因みに弟2人も兄弟5人とも教員)
よく練習した割にはバレー部を強くできなかったこと。
ANAのマイル獲得。
身体を大事にして毎日楽しく過ごしてください‼︎





★松尾 三郎先生  昭和56年4月~62年3月
祖父、父、義兄、姉といずれも大阪市の小学校、中学校、高等学校の教員で、私も自然に教員の道を歩んでおりました。特に父からの教育に携わることの大切さを学びました。
新校舎の建設が実現し昭和57年の新校舎落成式の冒頭 大阪市音楽団の演奏による 「君が代」が式場に響き渡った時 30数年に及ぶ同窓会、後援会、教職員のご尽力と大阪市当局のご英断により悲願達成の思いを深く心に刻んだことです。
初めて「老い」を感じてから16年。老ゆることの素晴らしさを「老讃讃」と題して自らの老いを和歌に託しております。
 「老讃讃」-八十路の旅よりー  「清貧に生きる歓び まほろばに 春秋高く 生きる豊かき」
健康第一に一日一日を大切に生きること」東商同窓会の絆のますますの深まりを祈っております。



★山内 充左右先生 昭和56年10月~60年9月
悪夢の戦争が終結して兵役が終り復員、食糧事情の不足な中、縁故採用の重視の世相で朝日新聞社出版部・第二地方復員局・住友金属KK製鋼所と進めて大阪 市教育委員会を経て、都島工業高校へ採用され転勤すること5校目だった。
東高校が都島へ移転し、一時その跡地へ東商が移転し、元の場所に8階建ての新校舎を建設。丁度その新校舎が竣工前の頃西商業より転勤し、校舎の移転、引っ越し作業、東商同窓会会館の整備、卒業式、入学式、竣工式と矢継ぎ早に大変な時でした。
卒寿を迎え、老い先短いことを痛切に感じ,体力の維持に努め、グラウンドゴルフで脚の維持。パソコンを”いじり”頭の働きの衰えを何とか維持し、絵画(水彩画・油彩画・パステル)に励んでいます。
只今脊柱管狭窄症で、1年半の神経麻痺ガ伴い脊椎の指圧(中山式指圧器に依る)により矯正治療、何とか日常生活に支障なし「日常姿勢を正しく保ち脊椎正常を保ち脊椎を正常に保つことが肝心である。」自動車運転姿勢が一番危険である。
 


★田中 久子先生    昭和57年〜平成4年
強い意志を持っていたわけでなく、気がついたらなっていたという表現が正しいのですが、充実した教員生活を送ることができて幸せだったと思っています。
一番はどれかといわれると絞りきれません。初めて赴任した学校ということもあり、数々の思い出ができました。
趣味のランニングを続けて25年以上になります。年齢を重ねても走力を維持するためにどうすべきか、効果的な方法を考えることです。
同窓会からのお知らせを頂くたびに東商時代をなつかしく思い出しています。機会があれば連絡くださいね。



★浅利 守光先生  昭和58~63年
材木屋の長男に生まれ、大学の商学部を卒業しましたが、若気の至りか正義感が貫ける職業と幻想、43年間の天職を全うしました。
全国初の8階建て高層校舎、最新鋭の情報処理機器、それを駆使した先駆的な総合実践の授業。
「まほろば歴史同好会」を結成して8年余、歴史探索に邁進、ホームページを覗いて下さい。現役時代からの大菊作り今も。無農薬の家族菜園、売られている綺麗な野菜の意味が分かります。
何時までもいつまでも、東商よ! 天壌無窮たれ!!!と。



★山本 俊明先生 昭和年60年4月~平成2年3月 平成8年4月~平成11年3月
正確には何となくが適当でしょう。戦争で大変な苦労をした親を助けたかった。
未熟な自分を暖かく迎えてくださった教職員同窓会役員、PTA役員後援会役員の皆様の事でした。それで東商のために一生懸命になろうと思った事。
オリンピック種目である柔道の進行審判は日本語でします。何かの時は気をつけてと思っています。
商工業都市大阪の発展に貢献された先輩の和魂商才の精神を皆様も継承していただき社会貢献を果たしてほしい。


★大川 哲子先生 昭和61年4月〜平成13年3月
直接のきっかけは、映画「24の瞳」を見て感動したことでしょうか、小さい頃から、何となくあこがれ的に考えていたのですが、大学に入ってからは、それが確信になりました。でも正直言うと高校の教師になるとは思ってなかったのですがt・・・(小学校か中学校)結果的にはみなさんに会えて満足しています。
やはり、何と言ってもあなたたちと一緒に取り組んだ文化祭などの行事ですね。担任としても生徒会顧問としても、行事大好き人間の私には、楽しい思い出として残っています。普段の生活では気づかなかったあなたたちの個性が、とても光って見えました。
自然の宝庫、北海道の釧路に移住したので、やはり一番興味を持っていることは、自然に親しむことです。でも人と接することが大好きな私は、教室が自然の中に変わったという感じで今、自然ガイドのまねごとのようなことをしています。
社会に目を向けて下さい。皆さんも見たり聞いたりしていると思いますが、最近の「シールズ」などの大学生や高校生の活躍にはとても心強いものを感じています。戦後70年ー民主国家の原点に立ち戻り、不戦平和の声を広めたいものです。


★山合 健一先生 平成2年4月~14年3月
生徒とともに学ぶことができるのではないかと考えたからです。
多くの良い生徒と出会うことができました。
学生時代にできなかった法律を学ぶこと。
人生は一度、思い残すことのない生き方をしましょう。私は52歳で早期退職をして、第二の人生をスタートさせました。


★米川 進先生 平成5年4月~19年3月
高校野球は美しい青春のドラマである。高校時代に白球を追ったことから、野球の虜になり、教師になって高校野球の監督として部員と一緒に野球を続けてきました。35年間という長い年月、高校野球が私の第2の人生でした。
体育大会の仮装行列や文化祭の劇・模擬店の出し物等、みんなで知恵を出し合い、立派に成功させる高校生の力を確信しました。 又、吹奏楽部の一糸乱れない行進にも感動しました。
私は自然が好きです。春には小川のせせらぎの音や蝶の舞に酔い、夏には田圃の蛙や木々の蝉の鳴き声に耳をすまし、秋にトンボの群れと戯れる。そんな古里の季節の光景が甦る。いつしか年令を重ねた今、美しい自然を求めて、原風景の山里を歩きたい。
高校時代は美しい年代である。三年間の思い出は今なお走馬灯のように蘇ってくることでしょう。その心でこれからも素晴らしい東商の歴史と伝統を守り、同窓会を盛り上げて行きましょう。


★尾谷 栄一先生 平成6年4月~13年3月
東商卒業後も、恩師高橋先生、富沢先生、上田与先生のご指導を頂き、一層母校への愛着を感じた事。戦争を繰り返してはいけないという密かな自負を感じていた事。
東商80周年記念誌(写真と証言で綴る80年)の発刊に携わった事。東商80年の歴史の重みと先輩諸氏の母校愛をひしと感じました。
立ち上げに誘われて、2014年より男声コーラスをやっています。少し外れますが楽しんでいます。
願わくは戦争を繰り返さないで。(いわんや他国においてをや)



★船城 英教先生  平成11年4月〜平成22年3月
剣道を通して人と接したかったから
体育大会(大阪市立中央体育館) 開会式の時、音源トラブルで音楽なしとなったが、スピーカーなしで進行し校歌も全員大きな声で歌い、体育大会が無事進行した。東商生の心に感謝です。
剣道の基本がきちんと出来ように、稽古を続けたい。
ありがとうございました。



★兵頭 英樹先生 平成18年2月~19年3月
教育実習で生徒と触れ合う中で、これほど多くのいろんな個性ある人間と出会える仕事は他には無いと思い、一生の仕事とするのにふさわしいと感じたからです。
産休として東商へ赴任してくると、中学校で担任をしていた生徒が居り、世間の狭さを実感した事です。
仏教についてです。後世の宗教的なものではなく、お釈迦様の言われた事には哲学的なものがあり、人として生きていく上で非常に有用な思想が詰まっているように思います。
「商業」という世の中で生きていく上で必要不可欠のものを勉強した君たちに伝えておきたい事。それはお金がすべてではないという事です。社会で仕事をしてお金を稼ぐことはとても重要な事ですが、人として何を重視するのかという優先順位を間違わないようにして欲しいと思っています。


★玉岡 照宏先生 平成19年4月~平成21年3月
学生時代には深い考えもなく取得した教員免許状。一度は他職に就いたが、私自身、本市商業高校の卒業生であることから、その経験を活かし、本市教育に少しでも貢献できたらとの思いが強くなり、教員採用試験にチャレンジ。
平成19年度着任早々の同窓会総会。約2週間後に迫った3商業統合のプレス発表を 前に、極度の緊張の中、ご挨拶をした時の事。ご出席のOBの方から「東商同窓会は不滅だ」企業は合併で強くなる。あの松下もパナソニックと社称を変え発展した。校長!ぜひ立派な学校を作ってください。と言っていただいた。その後の私の学校経営の大きな力となり、勇気をもって改革に取り組むことができた。
健康
東商の歴史は閉じましたが、卒業生として❝士魂商才❞東商魂を胸に刻み、誇りをもって、力強く前進していってほしいと願っています。
post by HP管理

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