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2010/02/19

平成18年度インタビュー 中 和博氏(新19)

トップの仕事は責任をとること!
大阪府豊能郡能勢町長
――はじめに、東商時代のこと、お聞かせください
能勢という田舎から大阪・船場にある東商へ入学したのは、2つの理由(わけ)があります。父が材木商を営んでおり、長男である私は後継ぎをしなくてはなりません。普通高校より、即戦力がある商業高校を選びました。そして、東商を選んだのは、中学時代の恩師が「大阪へ行くなら東商か扇商」といわれた。もともと大阪に憧れを持ち、都会へ出たかった私は、その中心にある船場の東商を、躊躇なく選択しました。

――で、3年間の学生生活は?

勉強はあまり好きではありませんでした。特に珠算、簿記は苦手でしたね。ひょんなことから3年生のときは「進学組」を選択。えらいことしたなぁと思いましたが、本はよく読みました。それも教科書ではなく、心構えなどを説いた、いわば社会勉強の本が中心でした。
勉強はいまひとつでしたが、運動はよくやりました。1年間は下宿生活、2年生になって、自宅から通学するようになりました。地下鉄の本町で降車、学校まで歩いたものです。朝練のときは大阪城周辺を駆け足で回ったことも印象に残っています。寒いシーズンも欠かさなかったのですが、これが原因で痔を患い、2回も手術。でも、こうして頑張ったことが、忍耐心を強固なものにし、少々のことでは、へこたれない今の自分を創ってくれたと信じています。クラブ活動はずっと「運動部」でした。

――16年10月の能勢町長選で、見事当選されました

町長になる以前に町議会議員を2期(8年)務めました。その頃も含めて、常々考えていたのは、町営水道の不備、田んぼの区画整理が遅れていたことでした。都市計画法がなかったため、よからぬ業者が入り込んできて、山林を台無しにするなど、心が痛みました。町会議員では町づくりに対する自分の信念が貫けないと、町長選挙に出馬することを決断いたしました。

――選挙は大変だったでしょうね

まさにその通りです。約1カ月の選挙戦では町内の4500軒を3回、くまなく回りました。7キロ痩せました。前助役との闘いでしたが、出る以上は絶対勝ちたかった。それも大勝で。結果は4200票対2800票でした。

――能勢町を紹介してください

田舎ですが、大阪の奥座敷と思っております。山林を含めて農業中心の町ですが、オゾンは都会のそれより美味しく、環境は良好です。能勢栗、池田炭、マツタケなどの特産品があり、芸能面では獅子舞、いのこ、特に、浄瑠璃は盛んです。200年の歴史があり、宿野には客席505席の「浄瑠璃シアター」があります。

――中さんも太夫(たゆう)をなさっているとか
私も積極的に参加しています。毎年6月を「浄瑠璃月間」とし、人間国宝に人形浄瑠璃を指導して頂いたりしております。それだけでなく、いろいろのことに有効活用しています。そのひとつが秋季に開催する「のせミュージックフェスティバル」です。これまでに出演して頂いたのは、森進一、都はるみ、円広志、堀内孝雄、川中美幸などで、いずれも好評でした。同窓生の香西かおりに、声をかけようかと考えています。

――大変、おいそがしい中で、いま特に考えておられることは

町政では、弱者の目線で物事を考えたいと思っています。能勢町では、上下水道事業、産業振興、ごみ処理場、火葬場問題などを抱えております。上水道は18年度中に全戸にいきわたる予定です。問題解決には、苦労がつきものですが、トップに立つものは常に責任を持ってことに当たらなければいけません。

――後輩、在校生にメッセージを
3つあります。まず、義務を果たすこと。そうすれば、必ず権利がついてきます。一つでいいから人にない得意のものを身につける。そして、いやなことを率先してやることです。

――有意義なお話を聞かせて頂き有難うございました。能勢町の益々のご発展をお祈りします。
インタビュアー 福田博忠(新6)岩本敏樹(新19)
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