伊藤 秀雄(4)
まだ五月というのに、この日(平成27年5月26日)は真夏日の暑さである。私達二七会の打ち上げの会合を、燃え立たせるかのような季節外れの暑い日となった。
昭和27年に卒業した私達が、奇しくも平成27年に打ち上げの会合を持つというのも二七会の縁(えにし)なのだろうか…
当日は最後の会なので、久し振りの友も見えて、ここシェラトン都ホテル大阪には29人が集まった。(うち女子7名、昨年は26名)
定刻12時、冒頭に先に逝った友人達に黙祷を捧げた。続いて幹事の森川明君から打ち上げに至る事情の説明があり、高谷誠一君の開会の挨拶と乾杯の音頭で宴に入る。早速に会場は静粛から懇談へとトーンが上がる。これが打ち上げの同期会という気持ちを秘めながら、いつもの様に食事と、さんざめきの時が悠然と流れてゆく。
程よいころ、幹事の森川君から出席者各人の現状と、感想なりを述べて欲しい旨の話があり、順次マイクが各テーブルに回り、それぞれテーブル・スピーチが行われた。
時間の経つのはいつも早いものであるが、やはり打ち上げの同窓会ということで一層早く感じられた。
最後に田中實君の挨拶と、一本締めで閉会となった。
私達は終戦後の最初の入学(昭和21年)であり、今では想像すらできない、惨憺たる大混乱のなかで教育を受け、翌年からは学制改革で「新制中学」となり「男女共学」になるという激動の真只中で、学び、遊び、育ってきた。早くも卒業後64年、この特異な経験は、古い想いでの中に埋没してゆく。
打ち上げの同期会閉会後、おたがいの「長寿と安楽」のエールを交わし、長い間世話をしてくれた幹事諸兄姉に感謝して散会した。
”さらば” 輝ける 二七会 永遠に!
昭和27年に卒業した私達が、奇しくも平成27年に打ち上げの会合を持つというのも二七会の縁(えにし)なのだろうか…
当日は最後の会なので、久し振りの友も見えて、ここシェラトン都ホテル大阪には29人が集まった。(うち女子7名、昨年は26名)
定刻12時、冒頭に先に逝った友人達に黙祷を捧げた。続いて幹事の森川明君から打ち上げに至る事情の説明があり、高谷誠一君の開会の挨拶と乾杯の音頭で宴に入る。早速に会場は静粛から懇談へとトーンが上がる。これが打ち上げの同期会という気持ちを秘めながら、いつもの様に食事と、さんざめきの時が悠然と流れてゆく。
程よいころ、幹事の森川君から出席者各人の現状と、感想なりを述べて欲しい旨の話があり、順次マイクが各テーブルに回り、それぞれテーブル・スピーチが行われた。
時間の経つのはいつも早いものであるが、やはり打ち上げの同窓会ということで一層早く感じられた。
最後に田中實君の挨拶と、一本締めで閉会となった。
私達は終戦後の最初の入学(昭和21年)であり、今では想像すらできない、惨憺たる大混乱のなかで教育を受け、翌年からは学制改革で「新制中学」となり「男女共学」になるという激動の真只中で、学び、遊び、育ってきた。早くも卒業後64年、この特異な経験は、古い想いでの中に埋没してゆく。
打ち上げの同期会閉会後、おたがいの「長寿と安楽」のエールを交わし、長い間世話をしてくれた幹事諸兄姉に感謝して散会した。
”さらば” 輝ける 二七会 永遠に!