伊藤 秀雄(4)
昭和27年4月、街は未だ戦災の無残な焼野原を残していた。私たちは旧制最後の中学生、女学生として入学した。翌22年現在の新学制に切替り、初めて男女共学が始まり、27年に卒業した。今年はその後61年目の同期会である。来年は満で傘寿を迎える。過ぎてしまえば誠に早いものである。
さて今年も又いつもの所(道頓堀ホテル)へ三々五々、集うもの28人(男20・女8)大方の顔ぶれは一定しているものの、久し振りに会える人もあり、懐かしくも又楽しくも思う。
幹事森川さんの取り運びで、宴の前にまず鬼籍に入った友への黙祷から始まり、記念写真を撮る。懇談に入り高谷さんから母校、今の動向について報告があった。
賑やかに笑い声や話し声が続く。喧騒ではない、ざわつきと、年相応の会話のトーンがいつしか調和され、いい雰囲気で時が流れる。
その間欠席者からのハガキ返信が回覧され、来ていない旧友の情報が取れる。有難い…。
時間がきて恒例となった金子さんから締めの挨拶があり、お開き。帰り際にさっき撮った記念写真を受取り外に出る。やはり道頓堀は大阪のシンボル、活気があり猥雑なトコも大阪ミナミの良さ。大阪に生まれ育ち良き友をもった事を幸せに思い、胸一杯御堂筋の空気を吸い込んだ。来年の傘寿の会もぜひ出席しようト…。
さて今年も又いつもの所(道頓堀ホテル)へ三々五々、集うもの28人(男20・女8)大方の顔ぶれは一定しているものの、久し振りに会える人もあり、懐かしくも又楽しくも思う。
幹事森川さんの取り運びで、宴の前にまず鬼籍に入った友への黙祷から始まり、記念写真を撮る。懇談に入り高谷さんから母校、今の動向について報告があった。
賑やかに笑い声や話し声が続く。喧騒ではない、ざわつきと、年相応の会話のトーンがいつしか調和され、いい雰囲気で時が流れる。
その間欠席者からのハガキ返信が回覧され、来ていない旧友の情報が取れる。有難い…。
時間がきて恒例となった金子さんから締めの挨拶があり、お開き。帰り際にさっき撮った記念写真を受取り外に出る。やはり道頓堀は大阪のシンボル、活気があり猥雑なトコも大阪ミナミの良さ。大阪に生まれ育ち良き友をもった事を幸せに思い、胸一杯御堂筋の空気を吸い込んだ。来年の傘寿の会もぜひ出席しようト…。