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今の豊田市稲武地区出身の古橋源六郎義真氏を中心に北設楽郡の有志が集い、林業を中心とした実業学校を創立するために、その財源を山林に求めて造林事 業を計画しました。そして、明治29年に今の鴨山演習林の地にあった御料林の払い下げを申請し、明治33年に認可され、造林が始まりました。これが、田口 高校の始まりです。
このときの造林事業に伴い、全国各地からいろいろな方が視察や研修・実習に来ました。
昭和15年10月、愛知県から当時の田口町に学校設立に関して照会がありました。校舎や校地などの一切の設備費は地元負担で、という条件付でした。そのために、鴨山に造林された木を売却して賄い、残りを地元田口町(当時)の負担や特志者の寄付をもって充てました。
そして、昭和16年2月に田口農林学校の設立が許可され、昭和16年4月より開校することができたのです。しかし校舎や校地一切が開校に間に合わず、当 初は当時あった田口町立田口実業青年学校に間借りして授業が行われました。現在の地に校舎が完成したのは、昭和18年になってからのことでした。
昭和22年に教育基本法・学校教育法が公布されました。これに伴い、田口農林学校も、新制高等学校へ切り替えを目指すこととなりました。ところが、当時 の資材不足や地元町村の財政難のため、学校教育法に規定された高等学校の設置基準を満たすことができませんでした。このため、必要な資金を捻出するため に、同窓会や在校生の保護者の皆さんを始めとする地元北設楽郡の方々の寄付を募りました。当時の職員や在校生もその一助となるべく、山林作業等に汗を流 し、また生徒の代表で演劇班を編制して北設楽郡内各地で公演を行いました。その成果が実り昭和23年4月1日付をもって、愛知県立田口高等学校が発足する ことができたのです。
昭和23年当初は、普通課程・農林課程および定時制の農林課程で発足しましたが、翌年には商業課程・家庭課程が新設されると同時に、当時の上津具村と稲武町にそれぞれ定時制の分校が設置されました。
その後、上津具分校は津具分校と名を替えたのち昭和40年に廃校となってしまいました。また、稲武分校は全日制普通科に改編ののち稲武校舎と名称変更し長らく稲武の地にて高等教育を担ってきましたが、平成20年3月に廃校となってしまいました。現在は、田口高等学校の本校のみが全日制課程普通科・林業科で編成されています。