母校だより

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「定年退職にあたって」 小島 一男(昭和52年卒)

 1979年10月に母校である本学理工学部助手(化学科)に採用いただき、当時理工学部長をされていた恩師・松田二郎先生の無機化学研究室で歩み始めて以来、39年半勤めさせていただきました。5年制の工業高専を3年で、また大学院博士後期課程を半年で、いずれも中退してきた私は、途中で退職してしまうのではと当初不安でもありましたが、このように定年まで長く勤務できましたことは、生命科学部、理工学部をはじめ立命館学園の皆様にあたたかく見守っていただいたお陰と深く感謝したします。
 当時、衣笠キャンパスの6号館(現在は国際関係学部棟の恒心館)の4階と5階に化学科の研究室がありました。昨年12月の国際関係学部30周年記念行事に参加した折、恒心館内を歩いてみると、何とも懐かしい思いがしました。学部生の時、広小路学舎に出かけて、勾配の急な階段教室の最後列に座って、末川博先生の講演を聞いたことをなぜか思い出しました。
 着任後、京大大学院の分光磁気化学研究室(辻川郁二先生)で行っていた極低温(液体ヘリウム温度)から、松田研の卒業研究で扱っていた高温(1000 ℃程度)までの温度域で、錯体単結晶、溶液、あるいはガラス中のコバルトなどの遷移金属イオンの光吸収を中心に、ESRや磁化率も測定しました。助教授として無機化学研究室を引き継いだころから、当時研究が盛んになり始めていたアップコンバージョン蛍光に興味を持ち、希土類イオンの蛍光材料の研究を始めました。衣笠での院生のY氏は、独自の合成法によりGeO2の無色透明ゲルをゾル・ゲル法により初めて作製し、そこに導入したエルビウムイオンの室温における光吸収やアップコンバージョン蛍光、液体ヘリウム温度でのERSを測りました。それ以来、1994年度に理工学部がBKCに移転して無機分光化学研究室となってからもGeO2系の試料は研究対象であり、ほかにZrO2系、SiO2系、ZnCl2系などについて、形態をバルク、薄膜、あるいは微粒子に制御して蛍光材料の研究を続けてきました。その後、光分野の応用研究として、金微粒子含有TiO2系、WO3系などの光触媒もテーマとし、また液相レーザーアブレーションを用いて最長で炭素原子30個からなるポリイン分子を合成し、性質を調べました。1996年度にSRセンターが開設され、大阪電気通信大学の谷口一雄先生にビームライン2番に分光器を移設いただき、リチウムやホウ素などの軽元素の軟X線吸収を測定してきました。
 
 生命科学部長の時は、学部任期制講師制度、女性教員限定前倒し人事、助教再任基準などについて教授会で決定していただきました。昨年6月には、生命科学部・薬学部10周年記念式典を、両学部主催で薬学部長の服部尚樹先生と共に開催できました。学部長としての提案等につきましては、化友会ニュースや学部の年報に書かせていただきました。ここでは、2017年に9月に行われた研究に関する懇談会での意見を参考までに紹介いたします。それらは、研究力を高めることと授業や行政等についてバランスをとり研究に集中できる環境が必要である/過去の講座制に似たような形で、何人かのグループで共同し、成果を出すようにすれば、研究が進むのではないか/研究は基本、個々人で考えて進めている。それはそれでいいが、共通のミニマムを設定し、頑張ってやらないといけないな、と思わせる仕掛けが必要である/学部全体の議論をすべきで学科の利益だけを考えないことが大切ではないか、等々でした。生命科学部の卒業生や新入生に対しては、読むことと書くことを大事にしてほしいと学部長として伝えてきました。そうすることで、学生のオリジナルな発想が生まれ、成果となって育っていくと思います。
 
 4月からは、特命教授として、SRセンター長と学部授業を担当させていただいています。皆様にSRセンターのご利用をお願いいたします。最後になりますが、立命化友会、生命科学部、薬学部、立命館学園の益々のご発展をお祈り申し上げます。