母校だより
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2020年9月2日更新
「定年退職にあたって」 菊地 武司(平成16年着任)
私が立命館大学に赴任したのは、2004年のこと、びわこくさつキャンパス(BKC)に新しく発足した情報理工学部でした。当時情報理工学部は4つの学科を有し、その中の一つ生命情報学科の一教員となりました。そのころはヒトゲノムが解読された直後で、バイオインフォマティクス、生命情報学に大いなる期待が寄せられていました。ただ、当時バイオインフォマティクスを専門とする人物はきわめて限られており、私も(今でこそ専門はバイオインフォマティクスだとはったりを言っておりますが)、当然生命情報学は専門ではなく、これから新しい分野を開拓するんだ、というような意気込みを感じておりました。生命情報学科はコンピュータを研究手段とするドライ系と呼ばれる分野の教員と、いわゆる伝統的な生命科学研究を中心とするウェット系分野の教員が半々で存在し、互いに協力しながら研究を進め、またその観点から学生を教育し、世に両方の素養をもった人材を輩出することに尽力しておりました。私はもともと、ヘモグロビンのアロステリック効果の統計力学理論で学位をいただき、その後タンパク質のトポロジー構造分類や、アミノ酸配列からタンパク質構造単位を予測する方法論の開発に従事し、さらに企業にていわゆるコンピュータ支援分子モデリング(CAMM)研究も行っておりました。つまり一貫して計算化学分野でコンピュータを用いて研究を行ってきたドライ系の研究者です。さて情報理工学部時代には、2005年度に国際主事として執行部に加わりました。そしてそのころですが、2007年から理工学振興会(ASTER)事業推進委員を拝命致しました。理工学振興会はその後、科学技術振興会に名前を変え、現在に至っております。私のASTERとの関わりは2018年度まで続くことになります。
2008年には、BKCに新しく生命科学部と薬学部が誕生しました。そして生命情報学科は生命科学部へ、我々も情報理工学部から生命科学部に移ることになりました。当時は、生命科学は21世紀の科学分野として大いに期待できるという雰囲気を醸し出しておりました。そして主にウェット系分野の教員は、生命科学部の他学科や薬学部に移り、生命情報学科はドライ系教員が中心となりました。しかしやはりこのままでは、当初の理念が崩れてしまうと危惧され、徐々にオミクス研究を主体としたウェット系分野も充実させていくことになります。2011年から2013年までは、入試高大連携副学部長として、執行部にて学部運営に携わりました。そして定年の一年前に学部長を拝命し、本当に微力であることを痛感しましたが、なんとか一年学部・研究科の運営に尽力いたしました。
さて研究室を主宰して来て感じたことは、2014年から英語基準の留学生が大学院に入学するようになり、また2-3ヶ月の短期滞在の留学生も徐々に増えてきて、ここ数年で国際化が進んだということです。国も、ケニア、インド、タイ、バングラデシュなど多様で、ゼミもさすがに日本人学生が英語でゼミをやるのは難しいですが、パワーポイントスライドは英語で作成するようになりました。さらには留学生ではないけれども、アメリカ人もゼミに加わってもらえました。このようなことは、学生・院生にも大いに刺激になったと思っております。ただ残念と思っているのは、せっかくの機会でしたが、日本人学生が英語を習得するより留学生が日本語を習得する方が早いということです。
私自身は、2016年に学外研究の機会をいただき、ブダペストの酵素学研究所とボストンのハーバードメディカルスクールに一ヶ月ずつ滞在しました。学部・学科の方々に感謝申し上げます。またその年にはニューオリンズで国際学会があり、組織委員会にも参加いたしました。研究面でも、この数年でこれまで行ってきたタンパク質フォールディング予測研究に一定のけりをつけることができたと思っております。一緒に研究してくれた学生諸君のおかげだと思っております。また無事定年まで勤めあげられたのも、皆様のおかげと思っております。感謝申し上げます。
2008年には、BKCに新しく生命科学部と薬学部が誕生しました。そして生命情報学科は生命科学部へ、我々も情報理工学部から生命科学部に移ることになりました。当時は、生命科学は21世紀の科学分野として大いに期待できるという雰囲気を醸し出しておりました。そして主にウェット系分野の教員は、生命科学部の他学科や薬学部に移り、生命情報学科はドライ系教員が中心となりました。しかしやはりこのままでは、当初の理念が崩れてしまうと危惧され、徐々にオミクス研究を主体としたウェット系分野も充実させていくことになります。2011年から2013年までは、入試高大連携副学部長として、執行部にて学部運営に携わりました。そして定年の一年前に学部長を拝命し、本当に微力であることを痛感しましたが、なんとか一年学部・研究科の運営に尽力いたしました。
さて研究室を主宰して来て感じたことは、2014年から英語基準の留学生が大学院に入学するようになり、また2-3ヶ月の短期滞在の留学生も徐々に増えてきて、ここ数年で国際化が進んだということです。国も、ケニア、インド、タイ、バングラデシュなど多様で、ゼミもさすがに日本人学生が英語でゼミをやるのは難しいですが、パワーポイントスライドは英語で作成するようになりました。さらには留学生ではないけれども、アメリカ人もゼミに加わってもらえました。このようなことは、学生・院生にも大いに刺激になったと思っております。ただ残念と思っているのは、せっかくの機会でしたが、日本人学生が英語を習得するより留学生が日本語を習得する方が早いということです。
私自身は、2016年に学外研究の機会をいただき、ブダペストの酵素学研究所とボストンのハーバードメディカルスクールに一ヶ月ずつ滞在しました。学部・学科の方々に感謝申し上げます。またその年にはニューオリンズで国際学会があり、組織委員会にも参加いたしました。研究面でも、この数年でこれまで行ってきたタンパク質フォールディング予測研究に一定のけりをつけることができたと思っております。一緒に研究してくれた学生諸君のおかげだと思っております。また無事定年まで勤めあげられたのも、皆様のおかげと思っております。感謝申し上げます。
立命化友会
(旧立命館大学応化会)
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