薫英学園と同窓会発展の歩み

2011年04月01日(金)

 私達が青春を過ごした母校薫英学園は、昭和6年6月10日大阪市東淀川区木川西之町に「薫英女子学院」として誕生しました。やがて女性の地位向上が問われる時代が必ず来ると、小川髙光、小川静枝両先生は思われ私学独自の女子教育に一生を賭けたいと考え、立ち上がられたそうです。両先生の掲げられた教育理念、敬、信、愛、の薫英精神は私達の授業の中に実践されていました。

 いかなる時代であっても先ず家庭が根本にあり安定した家庭を守る女性の影響は大きく女として、母として、又仕事を持つ女性としては如何にあるべきか・・・。当時遠距離の家庭の生徒は両先生のご自宅に寮生として一緒に生活し、社会人として巣立つまでの間、さまざまな教えを受けられました。両先生は厳しさの中にも、心あたたまるお人柄であられたそうです。生徒数も増えて昭和18年4月、現在の摂津市に新校舎を設立、当時戦時下にあって、先生方や生徒達は勉強のかたわら学徒動員に駆り立てられ女性といえども大変な苦労をされた歴史が薫英にもあったと聞いています。



 昭和22年3月薫英中学校、昭和23年3月には新制高等学校が設立され、両先生は6年間の一貫した女子教育を志され、小川静枝先生は初代高等学校の女性校長として教育に心血を注がれて、現在の薫英の発展となっていく。

 世の中が少し落ち着いてきた昭和25年、初めて同窓会総会が開かれその後も12月頃に不二家、阪神百貨店グリーンルーム、新阪急ホテルと会場を移し乍ら総会を開いてきました。創立50周年総会には学園の式典と祝賀会にあわせて、グランドホテルで記念総会を開催し、昭和32年8月故中垣大宣先生により70名余りの卒業生が集められて同窓会活動が始まる。文化祭にも参加するようになる。

 昭和50年理事役員を決め理事会が発足し、同窓会会則を改訂する。その後総会は2年に1度開くことに決定し、昭和52年薫英短期大学の施設で総会を開き、集まった卒業生は発展した母校と、小川静枝先生の講演に大いに感激する。

 昭和55年4月20日かねてより望んでいた、東京支部を品川の高輪プリンスホテルで小川髙光先生ご出席のもと決済する。

 昭和57年改めて校外の理事役員30名を選び2ヶ月に1度は理事会を開き、会の運営や東京を含めての行事について検討しながら現在に至っている。

 昭和60年、私たちの念願していた同窓会室が新築された図書館3階の一室に定められこの時を機に、長年考えていたコンピューターを導入して会員名簿の管理にあたる。

 昭和61年10月26日、小川髙光先生ご逝去。

 昭和62年カナダのセントマーガレット校と姉妹提携し高校生の長期留学が始まる。

 平成2年国際コース設置、平成3年国際コース1期生(39名)ニュージーランド長期留学(12校)を実施、異国文化に触れ乍ら生きた語学を学ばせたいとの、学校長方針に基づき高等学校は大きく飛躍する。

 平成3年6月10日学園創立60周年記念式典が行われ、同窓会も6月21日にターミナルホテルにて記念総会を開く。

 平成3年8月末、カナダ、セントマーガレットスクールを訪問する。

 平成9年3月、校名も改め大阪薫英女学院中学校が設立され国際科1期生が入学。高校にも文理コースが設置される。

 平成12年3月13日、小川静枝先生ご逝去。

 平成13年6月10日薫英学園創立70周年記念事業として「大阪人間科学大学」が、共学で開学される。6月11日、リーガロイヤルホテルで70周年記念式典挙行。6月20日、堀田力氏の記念講演とコンサートも開かれる。

 平成13年7月末より、70周年記念ニュージーランド、クリスティンハイスクール訪問。

 薫英学園の70年の歴史は私たちの誇りでありますが、その陰で苦しみ努力された先生方や先輩達がおられた事も忘れず、未来に向かって前進し薫英の発展に目を向け関心をもち続けていただきたいと思います。

平成13年6月   かおり友の会 会長 友兼知恵子
(70周年記念かおり友の会会員名簿より抜粋)

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