卒業生メッセージ

卒業生からのメッセージ[藤田文彦 先生]


 機械科に自動車という教科がありました。晴海にできた国際見本市で開かれる東京モーターショウや貿易展を授業として、見学しました。そこで一休みしているのは、3年間数学をお教えいただいた、藤田先生です。先生の名言『~~~しょっちゅう、しばしば、 ちょくちょく、~~~』を懐かしく思い出します。
[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

卒業生からのメッセージ



私達1961(S37)卒の修学旅行はS36.8.26~30に行われました。鉄道バス旅館は空調のない時代でした。なんで真夏のこの時季なのと、友と話しました。京都、奈良、大阪と周りました。写真は法隆寺での集合写真です。大人数ですが機械科3クラス(56+58+58名)と先生方、バスガイドさんです。東京駅発23:45発の荷物専用列車に客車を増結した夜行列車ですが20時頃品川駅での脱線事故により翌日3:05に発車しました。よかったことはシーズンオフなので、名所、仏閣では他校と会うこともなく待時間なし、ゆっくりと鑑賞できました。大阪から夜行列車でしたが、浜名湖(弁天島駅)で途中下車、お昼と水遊びを楽しみ、夕方帰京しました。懐かしい思い出です。
[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

卒業生からのメッセージ



学校から坂道を上り上野公園に行く両大師橋からの上野駅です。常磐東北経由青森行特急1列車はつかりC628(尾)が発車しました。常磐、成田線の客車はC62,60,57,58,(96秋葉原貨物)がけん引しその汽笛がよく聞こえました。この写真のうらにこの日はつかりはオート三輪と衝突したとありました。左の常磐国電は3,4扉の車輛たちでした。中央奥は西洋美術館、左手は東京文化会館が建設中のころでした。
1960年10月23日撮影。この年12月はつかりはディーゼル化されました。
[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

卒業生からのメッセージ



2017年6月創立120周年記念祝賀会でC63の置物とともに、頂いた記念カードです。使用しないで大事にファイルにいれました。
[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

卒業生からのメッセージ


 
 2017年6月の創立120周年記念祝賀会の記念品です。5×10×5㎝ 610gあります。幻の機関車C63が立体でどの方角からも見ることができます。モデルは工作研究部作のライブ、スチームでしょう。ここでは左側面に、ダイオードを入れて夜間の写真のつもりです。例年、文化祭では運転されますので、乗車希望の方は幼い孫と一緒にどうぞ。

 

交通新聞1979(S54)年7月18日号に国鉄郡山工場でC63のライブ、スチームが完成したとの記事があり、今でも公開日に運転されているようです。岩倉のC63 1は全国で2両のうちの1両と思われます。末永く運転されるよう願うものです。夢は共演できることです。

 

2017(H29)9月23日 文化祭で運転されたC63 1です。蒸気機関車なので水と石炭で走ります。工研部員は運転、整備、乗客案内で大忙し。
[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

卒業生からのメッセージ


 私達(1962年機械科卒)は今年度から後期高齢者です。
 そこで今秋卒寿を迎えるお元気な石禾先生からその秘訣をお聞きするため、新宿ハイアット、リージェンシー東京で高齢者むけ中華料理を食しながら、お話を伺いました。
 これからの目標をお聞きすると、上寿(百歳)とのこと。国語授業の最後は中国の故事を語り理想としてはその中にある 千年 とおっしゃったので一同大爆笑のうちにお開きとなりました。
 これからもお元気で。
[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

資料提供(生徒会報 いわくら3号の1面)


 
1962年3月23日卒業式に発行された生徒会報 いわくら 3号の1面です。
2,3面は卒業生座談会4面は就職先進学先の一覧があります。
2年後には新幹線が開業するのに蒸気機関車でもないだろう、いや世のなかのけん引車たれとの事だだのと友と話したのでした。
[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

写真投稿



1960(s35)7月の臨海学校(千葉県富浦町富浦小学校)での写真です。
竹芝から船で東京湾を航行しました。いつもの背広姿の先生方と違うお姿があります。


[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

卒業生からのメッセージ


岩倉高校創立120周年記念祝賀会に、元住吉電車区岩倉会4名で、参加させていただきました。
この節目に立ち会えて、一同うれしく思います。
[2001(平成13)年3月卒業 運輸科 宮木慶郎様]

卒業生からのメッセージ

昭和30年代の1年生の鉄道実習は、夏休みに1週間ほど各鉄道現場で行われました。2年生からは、鉄道会社の要請により、土日祝日、春夏冬休みの多客時に都内、近郊の駅で行われ、報酬があり、アルバイトでした。改札、ホーム立番、清掃などをしました。
 
  1961(S36)年10月8日 上野駅中央改札
 
 
昭和30年代に鉄道実習のさいに使用され腕章です。木綿の薄手のものです。   2、3年の実習での鉄道からの証明書。乗車券がわりで現場へ行けました。23日あるは23日が給料日なので、お手当を受取りに行くためです。

[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]