トピックス

令和2年度 岩倉祭について

 残暑の候、同窓会員の皆様には日頃ご多忙にも拘わらず、同窓会諸活動にご協力をいただいておりますこと厚く御礼申し上げます。
 コロナ禍のなか、今年度の岩倉祭をどうするべきか、学校側では、教員の岩倉祭担当者と生徒の岩倉祭実行委員が、他校の情報収集なども行い、9月は学校祭を開催可能な状況にあることを想定して準備を進めています。
 しかし、例年とは大きく運営・内容を見直し、規模を縮小せざるを得ず、毎年PTAと同窓会から参加している模擬店や同窓会ルームの企画展示は、今年度は見送りとするとの連絡を受けました。
 本当に残念ですが、どうかご了承をお願いいたします。また次年度以降、平常な形で岩倉祭が開催できる状況になりましたら、参加することといたしますので、同窓会員各位におかれましても、ご協力賜りたくお願い申し上げます。
【補足説明】岩倉祭実施の基本方針(岩倉祭実行委員会)
① 実施判断目安
実施段階で一斉登校をしている状態であること。実施予定9月下旬はその条件を満たしていると想定し準備する。
② 食品販売自粛
保健所からのアドバイスを受け、飲食関係(完成品の販売も含む)はすべて実施しない。
③ 参加生徒の制限
在校生徒1300名余が一堂に会するのは明らかに三密。参加者限定、有志参加
④ 来場者
保護者のみ(分散のため指定日を設ける可能性あり)

なお、オンラインでの公開も準備しております。詳しくは今後HPで発表します。

オンライン岩倉祭  

岩倉高校での養護実習を終えて ~日本体育大学 山中梨乃 さん(平成28年度岩倉高等学校普通科卒業)~

①実習生・山中梨乃さんより
 私は今回の養護実習に臨むにあたり、教育現場における「実践的な学び」をしたいと考えておりました。
保健室運営を中心に、新型コロナウイルスの影響で精神的な悩みを持つ生徒も多いと考えており、そのような生徒にどのような対応をしているのか。また、新型コロナウイルスの感染拡大予防・対策を学校ではどのように行なっているのかについてです。
 実際に、岩倉高校では生徒及び教職員の感染拡大予防・対策として様々な取り組みが行われていました。
生徒及び教職員の健康、安全のもとで、学校運営がはじめて実現するということを改めて実感しました。
私自身も実習生として、そのような業務に多く携わらせていただきましたが、新たな気づきもあり、毎日が新鮮で実りの多い実習となりました。
今後は、今回の実習での経験を十分に活かし、実践的な知識、スキルを身につけた養護教諭を目指して頑張りたいと思います。
昨今の学校を取り巻く様々な状況下で、実習を受け入れて下さった母校・岩倉高校に感謝するとともに、11月に予定されている保健体育の実習では、一層成長した姿を見せたいと思います!

②生徒からの声
  •  私は山中先生の授業を受け、今まで知らなかった多くのことを学ぶことができました。捻挫のメカニズムやその危険性、また対処法などを理解することができました。さらに、PRICE処置を教えていただき、正しいアイシングの方法も知ることができました。
     私は現在、陸上競技部に所属しています。運動と怪我は切っても切れない関係にあると思います。大切なことは、怪我をした際に、適切な処置をすることができるかどうかだと思います。今回の山中先生の授業を通して学んだことを、ぜひ実践していきたいと思います。
    (陸上競技部男子 2年生)
  •  私は山中さんの授業を通して、自分自身の生命を守るために大切なことを学ぶことができました。
    今年は例年よりも暑く、熱中症の対策にはより一層万全を期す必要があります。一方で、新型コロナウイルスの感染症対策として、日々マスクを着用して生活しなければなりません。この二つの対策をどのように行うのが適切かを、知ることができました。また、アイシングの重要性及び適切な方法を学ぶこともできました。今後は、怪我をしない活動を前提としながら、万が一怪我をしてしまった場合は、落ち着いて正しいケアができるようにしていきたいです。
    山中先生、実習お疲れ様でした!ぜひ部活動にも遊びに来てください!
    (陸上競技部女子 2年生)

③先生方からのエール
  • 母校となる岩倉高校での養護実習はいかがでしたか。コロナ禍での実習でしたので不安な部分もあったでしょう。毎日のように朝の正門指導をしていただき、本当に助かりました。高校生のころには、何も考えずに入ってきた正門も、迎える立場となると随分気持ちが違ったと思います。後半戦11月保健体育の実習ではどのような姿が見ることが出来るのか楽しみにしています。
  • 7月中旬、2年生の数学の授業中、女子生徒の具合が悪くなったとき、駆けつけて下さって、本当にありがとうございました。迷わず東館から保健室まで、おんぶで運んでいただきました。あのときの山中先生の判断力・行動力は、生徒も私も、けして忘れることはありません。生徒たちから学ぶことが多いと感じている今日この頃。実習生である山中先生からも大切なことを教えていただきました。11月からの実習でも、山中先生からパワーをいただこうと考えております!おつかれさまでした。
  • コロナ禍という大変な状況の下での実習は大変だったと思います。今回は養護教諭という立場でしたので、学校は、「生徒-教員」だけではないということを学ぶことができ、一歩引いた目線から学校を知るいい機会になったのではないでしょうか。
    次回の教育実習ではクラス運営等から学ぶことも多いと思います。
    今回はあまり関わりを持つことは出来ませんでしたので、次回は元担任としても、先輩教員としても、相談に乗りますので、いつでもきてください。
    こちらの立場から徹底的に指導しますよ!笑
    ひとまず、今回はお疲れ様でした!

④指導担当・金澤先生より
高校の卒業式で「養護実習に戻ってくるので待っていてください」と巣立っていき、約束通り立派な大学生になって戻ってきてくれました。
高校時代から変わらぬ明るさと、どんな立場の人にでも分け隔てなく平等に接することができる山中先生は、実習中もコロナ禍で体調不良、メンタル不調になった生徒にやさしく温かく接してくれました。私も、彼女が実習に来てくれたおかげで元気をもらった気がします。
常にメモを取り、何でも質問し、チャレンジしようとする姿はきっと高校生の憧れの先生になったと思います。
さすが岩倉高校の歴史に残る女子一期生、期待通りの活躍でした!

会員用: 2019年度決算報告・2020年度予算

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卒業生からのメッセージ[藤田文彦 先生]


 機械科に自動車という教科がありました。晴海にできた国際見本市で開かれる東京モーターショウや貿易展を授業として、見学しました。そこで一休みしているのは、3年間数学をお教えいただいた、藤田先生です。先生の名言『~~~しょっちゅう、しばしば、 ちょくちょく、~~~』を懐かしく思い出します。
[1962(昭37)年3月卒業  機械科  高澤一昭様]

会員用: 岩倉かわらばん 1年 第10号

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会員用: 岩倉かわらばん  1年第9号

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会員用: 岩倉かわらばん 1年 第8号

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会員用: 岩倉かわらばん 1年 第7号

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昭和39年 岩倉高等学校 機械科 卒業 有志同期会

 






2019年10月25日(金)~26日(土)で熱海温泉(小田急リフレッシュクラブ)で昨年に引き続き開催しました。
今年は15名の参加者で盛大に開催しました。






岩倉高等学校山岳部創設期とOB会

昭和35年度商業科卒業岩倉高等学校山岳部OB会会員

 山岳部OB会が創立されて昨年に60周年を迎え現在も大勢で活動しています。しかし山岳部創立期については知らない会員がいるので、創立者として当時の経緯を振り返ってみました。
 山(自然)を敬い、愛し愛され、抱かれて山と対峙して来ました。
自分は1958(s33)年岩倉高校に入学、機関科を志望しましたが商業科に掬われました。一年後に山岳部が仮部になりました。この年OB会は設立(十周年記念誌)。

1年生
 この年の夏休みに山岳部の募集があり、応募しました。目的地は朝日連峰。後で分かったことですが、これは林間学校でした。開催理由は色々とあったようです。先生4人(間部、奥山、野村、菅原)生徒30人(1年生4人しか記憶に有りません)当初、山形より朝日鉱泉、大朝日岳、以東岳、大鳥池の予定が、台風の為、バスが不通で急遽国鉄左沢線、左沢より軌道跡を古寺鉱泉に変更しました。大朝日岳の直下に幕営。私達は3年生と同幕でした。3年生は皆のキスリングをベッド代わりに大いびき、これにはあきれるより感心してしまいました。台風の大雨で、自分たちの足元は水がざぶざぶと流れ一睡もできませんでした。テントが飛ばされたと悲鳴も聞こえました。
我々初年兵には地獄の責めが始まったのです。多分、食器の後片付けは自分たちでするからと宿代を値切ったのだと思います。何しろ三十人超えの食器を冷たい水で洗うのですから大変でした。しかも、後ろで三年生が見張って居りました。今も語られる逸話です。
 別の山行では一年生二人と三年生で秩父の両神山に行きました。兄貴のナーゲル靴を履いてザァックザックと音を立てながら夜道を歩きました。その頃はバスの運行もなく随分遅くに着きました。ザイルを持って夜中に到着した先輩が居て、翌朝小さな岩場でクライムの練習をした記憶があります。(十周年記念誌にOB会の初山行と記述があります)。

2年生 【1959(s34)年】
 この頃から有志で上野の山をランニング、寛永寺の階段でボッカの訓練を始めました。学割も優先的に貰えました。OB会もこの頃から飯田橋の喫茶店で行っていたのを紹介され見学かたがた行ったのを思い出します。
 単独行で鳳凰山のドンゾコ沢を詰め、大雨にやられ下山で一緒になった人の韮崎の実家に泊めて貰ったのは良かったですが、夜明けごろ洪水が押し寄せ家ごと流されてしまいました。こんな事は予測でき無かった為それこそ着の身着のままの避難で、大きな屋敷がドンブラコとスローモーションのように流されて行くのを唖然と見ていました。
 先輩が卒業するに当たり、記念品を渡すことになり、先生の承諾を得ず金を集めた為に、父兄からのご注進により教員室で説諭を受けました。もう一人の教師がニヤニヤしながら通り過ぎていきました。

3年生 【1960(s35)年】
 5月の甘利山では、3先生と間部先生の子、敦坊をはじめ総勢30人超えの大人数でした。夏山は前年に北アルプスで消息を断った先輩の捜索隊と一緒に学生は上高地にベースを張りました。三俣蓮華から辿り槍ヶ岳一の沢で半分雪に埋まって居たのを発見されたそうです。この年は間部先生の弟さんの追悼山行に三頭山に行き、数馬の山崎屋に一泊しました。マトンを食べ過ぎて縁側で戻してしまいましたが朝見ると犬が綺麗に掃除を済ませていました。
 初代山岳部部長の功績で生徒功労賞を頂きました。頂くにあたり成績が悪いから価しないという意見があり、間部先生が、ご苦労されたことを担任の先生から聞かされました。

 その後、就職し山旅は暫くご無沙汰していたと思います。OB会では後立山 鹿島槍ヶ岳、爺岳は何回(1966年頃)か行っています。積雪期が大半です。OB会の集会所は定まらず喫茶店等を渡り歩き、会員に現役の教師が在籍して居たので交渉し部室に決まりました。
 その他にもOB会活動は多岐多様に及ぶのですが情報量が多いのでまたの機会に掲載したいと思います。