同窓生紹介 田中 利可子さん

2012年05月19日(土)


お勤めの病院について教えてください。

1977年に開院した、社会医療法人 愛仁会 高槻病院に勤めています。京都と大阪の間に位置するJR高槻駅から徒歩7分という場所にある477床の総合病院です。 総合周産期母子医療センターとして新生児や産科の救急に積極的に取り組んでいたり、大阪府の基幹病院として、リスクの高い母体や赤ちゃんの救命に全力を注いでいます。 大阪産婦人科医療相互援助システム(略称OGCS。大阪府下で緊急母体搬送にも対応可能である産婦人科の病院が協力しあい、365日24時間態勢で医療を提供しているシステム) の基幹病院として北大阪を中心に緊急母体搬送を年間約200件受け入れていて、産婦人科救急に対しても積極的に対応しています。大阪府だけではなく、京都府や奈良県、滋賀県からの緊急搬送依頼も可能な限りではありますが受け入れています。

病棟スタッフは私を含めて総勢70名の助産師がいて、妊娠・出産・産後まで、質の高いケアが提供できるように努めています。この病院は、「赤ちゃんにやさしい病院(Baby Friendly Hospital)」にも認定されていて、母乳育児にも力を入れているんですよ。

具体的にはどのような事をされているのでしょうか。

主に、女性の妊娠・出産・産後各時期において、ケアや助言を行って分娩介助をしたり、新生児や乳児のケアを行っています。生まれてくる胎児にとっては「人生で初めて触れる人」にあたるのが私たち助産師なんです。具体的には、外来では妊娠週数に応じた保健指導やファミリークラスでの指導、切迫早産や合併症妊娠の方への入院生活中のケアや指導、陣痛が開始している産婦への疼痛緩和マッサージや呼吸法の指導、陣痛促進のケア、そして分娩介助など。
他、帝王切開の術前から術後までのケアや、生まれてきたばかりの新生児の計測、産後の乳房マッサージや新生児の観察、退院後の1ヶ月健診など多岐に渡ります。また、最近では「核家族化」「高齢出産」などの問題もあり、ホルモンバランスの変化により女性がとてもデリケートになりやすい時期でもある為、身体的変化だけでなく精神的変化のケアにも配慮しています。

近頃では、飛び込み出産のような形で出産する方も増えているとききますが。

そうですね。先程もいいましたがここでは緊急母体搬送の受け入れに力をいれており、そういった方も広く受け入れています。 ですが、一度も病院にかからずに出産にのぞむことは母体や胎児に対して危険を伴うおそれがあります。生まれてくる赤ちゃんのためにも、お母様のためにも、必ず妊婦健診を受けて頂きたいですね。そして少しでも不安なことがあれば、医師や助産師に相談してもらいたいですね。

お仕事をされる中でやりがいを感じること、苦労されたことを教えてください。

私たちが患者様と接している中でも、特に分娩期は何が起こってもおかしくない場面です。正常な妊娠経過であっても、陣痛が弱かったり、赤ちゃんの心音が低下したり、出血が止まらなかったりと、他にも予想外のことが起きたりするんです。母と子の二人の生命がかかっているので、緊張の連続ですね。でも、そのような緊張感を乗り越えて、母児共に健康で家族皆が新しい生命に喜んでいる姿を見た時はとても嬉しく、やりがいを感じています。苦労というか、正常の分娩経過であれば、患者様(母と子)の入院期間は約5日間程です。日々受持ちの患者様も変わるので、その中でいかに信頼関係を築いて、退院後の育児をスムーズにスタートしてもらえるかを考えなければいけません。一人ひとり妊娠・分娩・産後の経過が違うので、とても難しいですね。

なぜこの仕事についたのですか?

実は、高校卒業時の進路で看護職か福祉職でとても迷っていたんです。その時、ボランティアを通じて福祉の現状を知る機会がありまして、利用者や御家族との関わりの中で「専門職として何かできることはないか」と考えて福祉大学に入学しました。大学での実習や、就職しMSW(医療ソーシャルワーカー)として勤務する中で、やはり医療と福祉はとても密着していることを感じた半面、そこには見えない大きな壁があるのも現場で実感したのです。そこで「医療と福祉の両側面から考えられるように、少しでも医療と福祉がスムーズに連携できるように医療についても学びたい」と思い、勤めていた病院を退職し看護学校に入学したんです。
母性看護は、成人看護・老年看護など様々な分野がある中でも特に医療用語も難しく、初めは助産師が何をしているかもよく知らなかったんです。けれど、母性看護の実習を通して幸運にも出産の現場に立ち会わせて頂き、生命の素晴らしさ、尊さを肌で感じ、本当に両親に感謝しました。
女性にとっての妊娠・出産・育児は命がけで、生と死は本当に隣りあわせなんだとその時初めて感じたんです。そんな、女性にとっての妊娠・出産・育児という人生で数回しかない大仕事に少しでも関わることが出来れば、と思って助産師の道へ進むことにしました。

以前の職業をお伺いしてもよろしいでしょうか。

はい、卒業後すぐに勤めたところではMSWとして就職しましたが、実際の業務は療養型での介護報酬請求業務や介護業務が主でした。退職した後、違う病院にMSWとして勤めました。その後看護学校に通い、助産師学校で学び、今の病院に就職しました。

退職して学校に通うことにためらいはありませんでしたか?

それはもう、「清水の舞台から とはこのことか!」と思いましたよ(笑)
でも、関西福祉科学大学で就職活動中にも、福祉と看護について悩んでいた時に、先生方に相談に乗って頂いたことがあって、その時「就職してからも学ぶことは出来る。働いてからでも遅くはないのだから。」と助言を頂いたことを思い出して、自分のやりたいことを勉強することは今からでも遅くはないと決意しました。

学生時代の勉強や経験で役に立っていることを教えてください。

関西福祉科学大学に通っていたころは学業より優先させていたものがたくさんあったと思います(笑)けれど、社会人を経験してから再度学生になり授業を受けていて「そう言えば先生達がこれは重要だと言っていたな」と思い出すことが良くありました。もっとしっかり勉強しておくんだったと思うこともよくありましたが、その反省が看護・助産学校時代でのヤル気へと変わりましたね。
また、オープンキャンパスやサークル、ボランティアにも積極的に参加してたくさんの友人と知り合いました。他にも実習でお世話になった施設の指導者の方、私の恩師ともいえる先生方。大学時代に知り合った多くの人との交流が今も続いていて、それは私にとっての何よりの財産です。
実習に関しては、私たちは一期生だったので、先生や施設関係者の方達にとっても初めての試みばかりで大変なことも多かったと思いますが、その経験をさせてもらえてとても良かったと思っています。
また、福祉現場を少し離れた私にとっては情報交換をしたり、福祉の視点でアドバイスをしてくれることは自分の原点を思い出し良い刺激になるんです。節目、節目で私の原点が関西福祉科学大学だなと実感しています。

今後の夢や目標がありましたら教えてください。

やはり、医療と福祉の壁が少しでも低くなればと思っていますね。
今は病院という組織で働いていますが、ゆくゆくは地域で働きたいと思っています。「入院中は常にスタッフがいるのでそれ程不安に感じなかったことが、いざ自宅に帰ってから困った」という話を、MSWをしている時もよく聞きました。2週間健診や1ケ月健診でも、心配や不安で赤ちゃんを抱きながら涙される方もいらっしゃいますし。入院中にできるだけそのような事にならないようケアや指導をしているのですが、限られた入院生活では限界も出てきます。そのような状況が少しでも減るように医療と福祉の掛け橋的存在になれたら良いなと思っています。

本日はどうもありがとうございました。最後にこの記事を読まれる方にメッセージがありましたらどうぞ。

大学時代から考えると、自分がまさか助産師になるなんて夢にも思いませんでした。こうして今、毎日新しい生命に出会える仕事についているのも、私の原点である関西福祉科学大学に入学し、たくさんの先生方、友人に出会い影響を受けたからです。私が新しい道へ踏み出そうか迷い悩んでいる時、励まし応援してくれたのは大学時代に出会った方々です。今は、まわり道をしても行動に移す一歩が自分の財産や経験として蓄積され、無駄な事は一つもないと感じています。
初めの一歩…はとっても、とっても勇気がいることですが、もし何か新しい事を始めようか迷っているならば是非踏み出して欲しいと思います。どうもありがとうございました。