トップページ > 活動計画・活動報告 > 三井三池三川坑炭塵大爆発の慰霊

三井三池三川坑炭塵大爆発から50年を迎えた今年、本校校門横にあります「勤労学徒慰霊碑」の前で定時制の生徒会を中心に慰霊式を執り行いました。
三井工業学校からも2名の生徒が犠牲になりましたので、定時制2年生の山田亜由美さんが「無念の気持ちでいっぱいだったでしょう。私達は今、命があることに感謝し、頑張っていく事を誓います。」と誓いの言葉を述べました。
H25.11.9




三井三池三川坑炭塵大爆発とは
 

 昭和38年11月9日午後3時10分頃、大牟田市西港町 三井三池鉱業所 三川鉱第一斜坑 (長さ約2キロメートル)の坑口から約500メートルの坑道で大爆発が起き、死者458人、CO中毒患者約839人の犠牲 者を出す大惨事となった。

 

 九州工業大学教授(当時)荒木忍さんは、原因について、「炭塵爆発の防止策としての炭塵除去と撒き水、岩粉撒 布を怠ったことにより、坑内に炭塵が蓄積され、一触即発の状態にあった中で、ボタ積炭車の連結環が破断逸走脱線し、 そのときの摩擦熱、あるいは摩擦火花が坑道内の炭塵に着火して引き起こされたと推定する」と結論づけた。

 

 福岡県警は、当初この鑑定結果を採用し、福岡地検も会社幹部を起訴に持ち込もうとしたが、会社側は新たに学者を雇い入れ、「揚炭ベルトの上の原炭に付着していた炭塵に火花が着火したものであって、これは不可抗力な事故である」 という「揚炭ベルト説」を主張。その後、事件の起訴に積極的であった福岡地検検事多数が突如転勤させられるという 不可解な事案が起きて、新メンバーで構成された福岡地検は三井鉱山幹部を「事故原因が科学的に立証できない」として 不起訴処分とした。大企業を優先擁護する当時の政治力が働いたのではないかと言われている。

 この結果を力にした三井側は、犠牲者たちの災害補償さえその後渋ることになる。

 
   
 
   
 

 社葬前日の昭和38年年11月23日、大牟田市 笹林公園で三川鉱第一斜坑炭塵爆発被災者に対する組合葬がおこなわれた。

 458名の遺影が並ぶなか、在りし日の夫が、父が、子が、スクラムの中で歌っていた組合歌「炭掘る仲間」の涙の大合唱 が秋の公園を流れ、参列者は涙にむせんだ。

 
「写真に見る炭鉱災害の記録より抜粋」
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