2014年
|2014年|2014年8月23日更新
第18回(S45年)卒 本島(南)知子
わが町は新興住宅地で、周囲は雑木林に囲まれています。春はわらび、つくし、ヤブカンゾウはもちろんタラの芽も採れます。秋には柴栗と、山の幸満載です。もちろん、ただ、無料、ロハです。そんなに多くはないですが家で食べるには十分です。
そこへ里山活動のお誘いです。
わが、かのこ里山村は鹿の子台の里山の自然を再生し、森の恵みを活かし、森に遊び憩い、自然と共生して健康に暮らせるまちづくりをおこなうという大きな目的をもって発足したのです。でも私には「タケノコ掘りしませんか、椎茸狩りしませんか」とのお誘いとのみ聞こえたのです。
ところが参加して最初の日、竹林整備は結構ハードでした。でも汗を流した後の昼食の竹筒料理は美味しかったです、タケノコ掘りに門松作り、これからも楽しく続けられそうな予感です。
さて、その活動の一環として数名の仲間と共に蜜蜂を飼うことになりました。この三月。指導者に試験的に巣箱を2つ置いてもらい、飼い方を教えていただくことになりました。
女王蜂は一日に1000個も卵を産むとか、働き蜂はみんなメスとか、その働き蜂が交尾無しに産む蜂はオスのみとか、聖母マリアの処女懐胎も十分頷けます。
その寿命は50日とか、教わりながら毎週一回世話をします。(私達初心者は見学だけですが)
ある日、女王蜂が消えました。交尾のために巣箱から出たところを鳥に食べられたのではないかということです。対策は、別の巣箱にあった王台をいくつか接着しました。でも一番先に羽化した蜂は残りの王台の蜂を殺してしまいます。また、ある時はスズメバチが一匹飛んで来たり、もし彼らに襲われると一晩で全滅するそうです。 さらに蜜源増加のためにカボチャやミニトマトを植えたり、生のローヤルゼリーやプロポリスを味見したり、蜂の子を食べたりもしました。
最大の楽しみは6月初めの蜜絞り。遠心分離機を回すと金色の糸がキラキラ光り、コックをひねると琥珀色の蜜がとろ~りと流れ出て 、正真正銘地場産純粋蜂蜜 の誕生です。早速ヨーグルトにかけて試食。お・い・し・い!
秋になって食物が少なくなるとオスバチは巣箱から追い出されるそうですよ。男性陣は人間で良かったと言っております。
里山村にはまだこれからいろいろな計画が目白押しです。果樹を植えたり、畑をつくったり、遊び場を整備したり、細工ものを作ったり、等々。これからも楽しみながらやっていきたいものです。
第一回目に絞ったハチミツをビンゴゲームの景品に出すつもりです。最高品質保証付き!!
なお、里山活動について詳しくは、かのこ里山村通信http://blog.livedoor.jp/kanokosatoyamaをご覧下さい。
|2014年|2014年8月3日更新
第22回卒(S49年)岡 本 敏 秀
関西武夫原会のHPに熊法会やESSで活躍した会員の投稿記事が紹介されていました。
クラブに所属しなかった学生の記事も1つあっても良いのではと思い投稿いたします。
熊本大学は、1945年に6つの官立学校を統合して新制国立大学となり、60余年が過ぎました。この度、60年史が完成し、関西地区では熊本大学関西オフィス(大阪駅前第3ビル6階)に1部保管され閲覧できます。
先日、関西オフィスで熊大の60年の歩みが纏められた写真集を見せていただきました。卒業して、40年が過ぎると、記憶も不確かなものになっていましたが、写真集を見て、「そうそうプールはここだったよな。講堂はもうないのか」等、学生時代の記憶が蘇ってきました。
S45年に入学した当時、学園紛争も少し下火になったものの、学生会館は闘争の跡が生々しく残っているそんな中、1年生から授業もありました。教養学部の授業で専門の法学の講義もあり、ある日講義の中で「法律は身体の骨の部分である。その上に肉である慣習や服である道徳がある。骨の部分まで行かない状態で物事が解決すれば一番良い。」と言った内容のお話がありました。「そうなんだ。法律の前段階で解決させれば法律を勉強しなくて良いのだ。」と悟り?、勉強もそっちのけで、やんちゃんな、長髪にパーマをかけ、Gパンをはいたノンポリの学生が誕生しました。(写真:18歳の私 熊本城をバックに)
- 天気の良い日、授業が始まる前に黒板いっぱいに大きな字で「立田山に自然観察に行きましょう」と書きました。ごめんなさい。
- 高下駄をならして廊下を歩き講義の邪魔をしました。ごめんなさい。
- コンパで飲み屋さんから座布団を持ち帰ろうとして「学生さんそれだけは」と言われました。ごめんなさい。
- 工学部の友人の研究テーマ「熊本らしい建築物」の手伝いで白川に架かる橋の上で車を全部止めて車道から橋梁部分の写真を撮りました。ごめんなさい。
熊本大学も熊本の町も、こんな学生を暖かく包み込んでくれました。感謝! 感謝!です。
そして、その罪滅ぼしとして、現在関西武夫原会の事務局長を拝命しています。
同じ軌跡を辿ったあなた。関西武夫原会の事務局長職が待っています。
さて、事務局からのお知らせです。
当会の総会・懇親会の案内を差し上げ、出欠の返信は8月2日で締めきりましたが、同窓会開催の前日の9月5日まで出席の連絡を受け付けています。欠席で返事を出したが出席できるようになった方、案内が届いていない方、投稿を読んで学生時代が懐かしくなった方は、事務局までご連絡ください。お待ちしています。
|2014年|2014年6月19日更新
同窓生の皆様方にはお元気でご活躍の事とお喜び申し上げます。
平成26年度総会・懇親会を下記の通り、開催致します。
今年度は会場を大阪屈指のホテル「太閤園」に変更し、自慢の料理に加えて、熊本名産品やくまモングッズ等が多数当たる「ビンゴゲーム」も予定していますので、ゆっくり歓談し、旧交を温めて頂きたいと思います。 ご家族、ご友人と是非ご一緒にご参加下さい。
記
日 時 平成26年9月6日(土) 11時半(受付11時~)
場 所 太閤園 3階 ダイアモンドホール
(会場へのアクセスはこちらをクリックして下さい)
電 話 06-6356-1111 (大阪市都島区網島町9-10)
会 費 男性10,000円 女性 5,000円 平成26年卒は無料招待
連絡先 事務局 岡本敏秀 電話090-3352-6979
<以下、会報「武夫原」より、過去4年の総会・懇親会の様子です。>
詳しくは「関西武夫原会のあゆみ」をご覧下さい。
|2014年|2014年6月8日更新
「熊本大学六十年史」(全3巻)は、2009年の開学60周年を記念して刊行されました。
本書は全3巻、写真集A4判207ページ、部局史編B5判1264ページ、通史編B5判841ページと、別編として学生時代の思い出を綴ったB5判42ページの冊子の構成になっており、第五高等学校をはじめとする熊本大学の前身各校や1949(昭和24年)年5月の熊本大学創設から今日までの歩みが写真と共に編纂されています。一般販売はしておらず、熊大附属図書館、熊本県内の公立図書館などの他に、県外では関西オフィス、東京オフィスで閲覧いただくことができます。母校の歴史を振り返り、懐かしい風景に再会していただけましたら幸いです。
尚、「部局史編」・「別編」は、熊本大学ホームページでも公開されています。
※ HPからの閲覧は・・・
上のリンク先にアクセスし、Vol.1またはVol.3・4(Vol.4は別編)をクリック
→見たい項目(例えば「第五高等学校」などの青字部分)をクリック
→上部の青い帯部分「登録ファイル ファイル」下部の青字部分(「第1編 表紙」を見るなら、左側の青字60-T-1.pdf)をクリックするとPDFが開きます。
閲覧をご希望の方は、関西オフィスまでお問い合わせください。
不在の場合や会議などで利用中の場合がございますので、ご来室の際には下記までご連絡下さいますようお願い申し上げます。
関西オフィスでは、学生の方への就職活動支援を積極的に行っており、就活時期を迎えた今年1月から5月21日までの利用者数は83名(男子64名、女子19名)、東京オフィスは28名(男子18名、女子10名)となっております。夜行バス等で長時間かけて移動する学生が多いため、各オフィスでは身嗜みを整えるためのスチームアイロンなどの備品を揃え、書類作成や休憩、荷物預かり、また情報交換の場などに活用いただいております。利用者数は3月をピークに、4月も半ばになると内々定が出始め、5月の半ば頃までには多くの方が進路を決められたようです。
関西でご活躍されている卒業生の皆様のあとに多くの学生の方に続いていただきますよう、精一杯の応援をさせていただきたいと思います。
熊本大学関西オフィス (スタッフ:赤松)
業務時間:平日10時~17時
〒530-0001 大阪市北区梅田1丁目1-3 大阪駅前第3ビル6階608-2
Tel/Fax:06-4256-8153 email:kansai-office@jimu.kumamoto-u.ac.jp
※ 地図などの詳細は、こちらでご確認下さい(熊本県大阪事務所と同じビルです)。
|2014年|2014年4月18日更新
今年は開花が遅かったようですが、丹精込めて育てた花がきれいに咲きました。
肥後椿は花弁数が5枚程度で雄しべが底部まで分岐し、梅の花のように放射状に開いているのが特徴です。花の色や模様・濃淡が多彩です。肥後六花として肥後椿のほかに肥後山茶花、肥後朝顔、肥後花菖蒲、肥後菊、肥後芍薬があり、18回生 Iさんが肥後山茶花の写真を送ってくれました。
関西武夫原会会員諸氏が丹精込めて育てた花をご覧ください。
13回Hさんは、肥後椿系の他、薮椿系等の椿も大事に育てておられます。
今年は咲かせることが出来ずに残念に思っておられる方、来年こそは椿にも頑張ってもらってきれいに咲かせましょう。
また、肥後六花をお持ちの方、肥後朝顔や肥後菊などきれいに咲いたときに是非写真を撮って送ってください。お待ちしています。
(ホームページ作成委員会)
|2014年|2014年4月9日更新
関西武夫原会の春のハイキングは、4月6日(日)、大阪に近い京都の八幡市、石清水八幡宮とその麓の背割堤でお花見を楽しみました。
春に3日の晴れはなし、とか言いますが、この日の天気予報も直前まで不安材料がいっぱい。それでも、「決行!」の連絡を受けて、八幡市駅前に集まったのは、男性5名、女性2名の7名でした。出会って、先ずは、お天気の話題。1日なんとかもつのでしょうか?心配です。でも、そんなお天気にも関わらず、予定通りのお花見をしようと、駅前には大小、たくさんのグループがひしめいておりました。ツァーの旗もいくつか見かけます。私たちのグループはこじんまりとして動きやすい人数です
先に八幡さんの方に行くことにしました。この「男山」と呼ばれている一帯にも桜はかなりありますが、こちらはやはりお参りが主になりますね。初めに見たのが、神應寺横の五輪の塔。高さが6メートルもある巨大な塔で、重要文化財だそうです。みんなで見上げている時、Oさんが「これは2020年に東京に持って行くことになっていまーす」と言いました。それを危うく信じてしまいそうになって、「ああ、ゴリン(五輪)、オリンピックか」と気付き、大笑い。その後も、このようなダジャレを互いに連発しながらの愉快な1日でした。
石清水八幡宮は貞観元(859)年、都の裏鬼門に位置する男山に勧請されたのが起源です。祭神は応神天皇、比咩大神、神功皇后で全国屈指の「神社」です。現在の社殿は徳川家光の修造によるもので国の重要文化財に指定されています。この神社はとても広く、上院(山上)と下院(山麓)に分かれています。あの「徒然草」の「仁和寺にある法師」が、「かばかりと心得て」帰ってしまった、その時の高良社などは、今も下院に存在します。当時は下院でさえも、もっともっと広かったのではないでしょうか。
私たちが高良社の境内を抜けて、表参道を上院社殿の向けて歩き始めた頃に、ポツリと来ました。長い石段は意外ときついし、雨には会うし・・・。それでも周りを見れば、石段に添った山肌には愛らしいスミレ、目を上げれば赤い椿。すれ違う人たちは「もう少しですよ」と声をかけてくれます。
社殿は最近、手を入れられて、朱の色が鮮やかです。日曜日で「奥」に入ることはできませんでしたので、周囲をぐるりと回ります。そこにオガタマノキという御神木がありました。これは招霊(おぎたま)から)転化した名で、1円玉の裏の図案になっているそうです。誰かが、「あれはオリーブかと思っていた」と。確かに。そう見えますよね。
ケーブルカーで山を降りて、また駅前に戻り、木津川御幸橋を渡って、本日のメインである「背割の堤」に急ぎます。このお天気ですから、いつもよりは少な目とは言え、たくさんの人です。木津川と宇治川に挟まれた、この堤の遊歩道はまさに桜のトンネル!1.4キロメートル先では、この二つの川に加えてもうひとつ、桂川も合流して淀川と名を変え、大阪湾に向かって流れています
桜トンネルウォークの前に、そろそろ12時、お弁当の時間です。南の斜面を下りて、Yさんが持って来てくれた、大きなブルーのシートを緑の若草の上に敷き、宴会の会場は出来上がり。幸いなことに、風はあるといっても、ぐんぐん青空が広がり、もう雨の心配は無くなっていました。充分に食べて、飲んで、おしゃべりを楽しみました。川向うのあの男山を見ると、なだらかな、ラクダの背(?)のような山の、その木々に覆われた斜面のところどころに淡いピンク色、本当に雲のように、霞のように・・・。ソメイヨシノが多いのでしょうけど、あの控えめな山桜もあるでしょう。
宴席に花吹雪。午前中には想像もできなかった、この展開。幹事さんがいいのか、参加者がいいのか。とにかく、ラッキーでした。
桜トンネルを先端まで歩き、帰りは土手の下を通って、緑の道を戻ります。土手の下からは、桜並木の緩やかなカーブがよく見えて、実に美しい。バーベキュースペースからのいい匂い。若者たちが踊っている。お洒落に着飾った小犬たちの徒競走。幼い子どもと大人たちの連れ。思い思いのお花見の午後でした。
3時ごろ、八幡市駅に戻って、再会を約して解散しました。
写真スポットを見つけると、Kumamoto University の旗を広げ、シャッターを押してくれる人を見つけ出す私たち!かなり目立ってはいるけど、やっぱり楽しい。次は、皆さんもご参加ください。
(18回 今泉<岩永>富美子 記)
|2014年|2014年3月2日更新
宇治川・桂川・木津川の三川が合流する京都郊外で「八幡のはちまんさん」と親しまれ、また、徒然草にも登場する石清水八幡宮を散策し、淀川の背割り堤で桜を楽しみます。
歩行距離は約6キロメートルで、誰もがゆっくりと歩けます。背割り堤の満開の桜の下でお弁当。球磨焼酎もいつもより数倍おいしいことでしょう。日頃運動不足の方、自然や歴史そしてお酒の好きな方、奮ってご参加ください。また、ご家族・ご友人の方の参加大歓迎です。
1. 日 時 平成26年4月6日(日) (雨天中止)
2. 集合場所・時刻 京阪電鉄(本線)八幡市駅改札口 10:00集合
3. ア ク セ ス
地下鉄(御堂筋線)淀屋橋駅~京阪電鉄(本線)淀屋橋駅~八幡市駅 準急で46分(360円)
JR(環状線)京橋駅~京阪電鉄(本線)京橋駅~八幡市駅 準急で31分(360円)
4. 持 ち 物
弁当、飲み物(お茶、お好みのアルコール飲料)、おやつ、敷物など
5. その他
(1)徒然草第52段
仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
6. 連 絡 先
参加希望の方は、3月31日(月)までに事務局にご連絡ください。
事務局 岡本 敏秀 090-3352-6979
|2014年|2014年2月16日更新
去年10月3-4日こちら大阪地区にて昔懐かしい熊大時代のサークルの40年卒業同期生メンバーと再会する機会を持ちました。
ご存知の方も多いと思いますが、それは「熊法会」と称す熊本大学法律研究会で、一般の市民等からの法律相談の回答を記事として地元新聞に載せたり、数少ないが大学対抗法律討論会へ参加したりするサークルでした。
法文学部学舎の最奥に立派な独立した部室があり、室内に飾り気はなく殺風景でしたが、講義の前後の待ち時間や臨時休講の時などに雑談をするのが楽しみでした。約半世紀を経た今も互いに年賀状の交換を続けており、古稀を越えた今年・甲午が歳男にあたり、みな健康の有り難さを感謝しています。
’65年3月の卒業以来という超久しぶり再会の1名を含めて総員7名の参加で、地域別には首都圏3、近畿圏3、熊本1でした。小生ら近畿の3名が幹事となり、役割を分担、初日は昼過ぎにJR新大阪駅に全員集合し、4月にオープンしたグランフロント大阪(駅)の北館で、近大マグロ店の完売札を横目に見た後、喫茶店で再会を喜ぶとともに参加者等名簿の確認、スケジュールの説明の後、新阪急ホテルのバス乗降場に移動しました。
いよいよ水陸両用バスに乗車(船)です。陸上60分、水上30分で、御堂筋、本町通、上町筋を大阪城を眺めながら走り大川へ入水し(この時、運転手が船長と交替)、中の島公園付近まで回遊するコースでした。ほぼ貸切り状態で、日本初の水陸両用の珍しさと如何にも大阪のお姉ちゃんと呼ぶにふさわしい?明るい大声の身振り手振りの派手なガイドさんのお陰でとても愉快でした。
その後の懇親会は阪急塚口駅近くで、元勤務していたH君の世話で元勤務先の来客用の厚生施設で開催されました。
清酒発祥の地といわれる伊丹の地酒で乾杯(その発声は東京武夫原会会長に新任のK君)の後は、小生が司会進行を担当しましたが、各人、近況報告の後、「何故、現役時代の就職先としてその業種を選んだのか」が主テーマとなりました。“物を作るのが好きだから”等々説明があるなどで歓談しました。因みに元勤務先の業種はメーカー3、金融3、商社1でした。中には“倍返し”ではないが、テレビドラマ『半沢直樹』張りに自己の考えを貫いた?との剛毅な発言がありました。大分出身の小生は久しぶりに熊本県人気質の“肥後もっこす”を思い出しました。
物持ちの良い宮崎出身のK君が持参した若き頃の若戸大橋開通後の福岡での討論会での入賞時の写真、商法セミナーの阿蘇での写真、更にはリタイヤ後始めたH君には油絵教室の成果として有名作品展での入選作品の写真等々多数の写真のご開陳もあり、大いに盛り上がりました。中締めは遠路熊本から新幹線で駆けつけられた元地銀役員のN君により行なわれ、お開きの後は宝塚駅付近の宿泊先ホテルに全員移動しての二次会で懇談を続けました。
翌2日目は宝塚高原GCにてゴルフコンペを行いました。メーカー組と金融組との2組に分けましたが、地の利もあって近畿勢が優勝と上位を占めました。
熊本のN君から頂戴した今や全国区の“クマモンのバッジ”をつけての楽しい2日間は本当に早々と過ぎ去りました。“また会おう!それまで元気でな!!”と互いに言いながら別れを惜しみました。
この会合は20年毎に行なわれる伊勢神宮の遷宮10/2-5の丁度中間日での開催であったことを銘記したく思います。
後日、写真担当の小生は欠席者2名を含め9名に集合写真等を送りました。その欠席の2人(首都圏、熊本)からのお礼のメールは “みんな老けたなア”
(13回生 T.T)