旧師・同窓生のご活躍

日本フィギアスケート界の先駆者  稲田悦子姉

2014年03月18日(火)
昭和16年 高女卒 稲田悦子姉
1936年ドイツで行われた冬季オリンピックに、日本人最年少の12歳で出場。
梅花で1940年にスケート班(今のクラブ)を作り、約40名で週1回放課後千日前の旧歌舞伎座屋上のアイスリンクを貸し切り練習されていました。
後、皇室の方々の指導などで活躍され、2003年7月に亡くなられた葬儀の際には「日本のフィギアスケート界の先駆者的な存在」と当時の日本スケート連盟会長が弔辞の中で功績をたたえられました。