NDCの活動

恩師・武田 洋次先生(その1)

2016年05月20日(金)
 H27.7.20 南淡路 銅鐸見学

卒業生が大学生活を思い出すのは師事した、薫陶を受けた恩師を通してと言うケースが多いのではないでしょうか!
武田洋次先生は永年要職を勤められ、多くの卒業生を輩出され、現役の若手先生方にも大きな薫陶を及ぼし、今も武田先生を慕われている卒業生は多いとかねがね聞き及んでいます。
 
今回、武田先生が中百舌鳥電気クラブのホームページ 「 NDCの活動 」 (2016-5-9 NDC News15号)に『電気系学科/電気電子系学類の講座・研究グループの変遷図 作成の経緯と大学改革のあゆみ』の記事を寄稿されています。
ここで先生は電気・電子系の講座・研究室の変遷を編んだ経緯とその背景について詳しく述べられています。
卒業生には最近の武田先生の近況を知って貰う良い機会ですし、現役の学生には府大の電気 /電子系学類の貴重な歴史を知って貰う良い機会になると思います。
まずはこの記事をご覧ください。
 
また『府大・電気・電子系の恩師シリーズ』の第1号として、次回に再度「恩師・武田洋次先生(その2)」として先生を取上げさせて頂く予定です。
 

 
『電気系学科/電気電子系学類の講座・研究グループの変遷図作成の
経緯と大学改革のあゆみ』 
電気14期卒業生 武田 洋次)


電気系学科の講座・研究室の変遷を作ることになったのは、H26年度の幹事会で、卒業生の一人から、「自分が研究指導を受けた講座がどのような変遷を経て,現在の学域学類制の研究グループに引き継がれているのか知りたい」 と言う要望があったのが発端です。
2005年の3大学統合法人化のあとも大規模な再編があり、卒業生には自分が学んだ講座の変遷は予想がつかない状況になっていました。2013年に発行された「大阪府立大学130年歩み」には学部、学科の変遷に関しては記載されていますが講座までは記載されていません。
1949年の浪速大学設置から現在までの電気系学科の講座・研究グループの変遷を調べ上げ纏めるのは大変な作業になることが予想されましたが、今後も統合・再編があることを考えれば今の時期に纏めておくことは卒業生にも在学生にも有意義であると考えました。庶務理事の梶野氏がリーダーとなり大学の在職期間が長かった武田が原案作成を担当することになりました。
私は大学を退職して10年になり、手元の関係資料も少ないなか、1992年発刊の大阪府立大学同窓会名簿、中百舌鳥電気クラブ会誌のバックナンバー、大阪府立大学130年の歩みなどを手掛かりに、おぼろげな記憶を総動員して、まず年度毎の講座名を分かる範囲で書き上げ、講座・研究室のたたき台を作り上げました。
これを役員と各期の幹事の皆様にメールで照会、加筆修正をお願いして完成度をあげる作業に取り掛かりました。人の記憶は時間の経過の中で曖昧になり同期の卒業生でも覚えている講座名は異なることもあり、正確でないこともあることが分かってきました。また、幹事の方々から「大学にこの種の関連資料は保存されているはずでは?」とのアドバイスもいただきました。大学も再編統合を繰り返し、事務組織も合理化されていく過程で古い資料は整理され、講座まで記載した資料が残されているか不安もありましたが、工学域支援室に尋ねたところ、教育推進課に昭和35年~平成6年までの「履修の手引き」が保存されていることが判明し、梶野氏と2人で猛暑の中、教育推進課を訪ね、セピア色の関係資料を複写させていただきました。当時の大学設置基準では小講座制により教育と研究の責任の所在を明確にすることが義務づけられていましたので、学生に配布する履修の手引きにも講座名称と構成員が記載されていました。この資料によって曖昧な部分が明確になり、校正の第一ステップをクリアすることができました。大学の認証評価の資料作業で忙しい中にもかかわらず丁寧に協力いただいた教育推進課の皆様に感謝する次第です。
浪速大学設立時から昭和34年までの古い時代に関しては大先輩の平紗先生に全面的に協力していただきました。大講座制に移行してから大学院部局化、3大学統合大学法人化、さらには学域学類課程制の現在までについては現職の先生方に何度も校正をお願いし、大変お世話になりました。この場を借りて厚く御礼申しあげます。特に各年度の講座・研究グループを系図となるように線で結ぶ作業は、時には先生の定年退職、割愛、採用、移動などが関係するため一番苦労したところです。この系図は学部卒業年度を基準にして纏めていますので、大学院については、学科名は専攻または分野名などに読み替え、適用年度は2年(修士課程)、または5年(博士課程)遅くなることになります。纏まった系図は役員、現役の先生方に何度もチェックして頂き、間違いのないように努めた積りですが、情報不足で間違が残っているかも知れません。その節はご容赦の程お願いします。
 電気系学科と電気電子系学類の講座・研究グループの変遷図は歴史年表のように古い時代を左側に新しいものを右側に順次記載し、講座・研究グループの変遷は家系図のように矢印で結んでそのルーツが辿れる様に工夫し、最上段には再編や講座名称の起因となった出来事を記載して大学改革との関連性も分かるように配慮しました。
さて、完成した系図を俯瞰してまず分かることは、設立当時、6講座でスタートした電気工学部門(1952年に電気工学科に改称)は、現在は4課程(学科相当)37研究グループで構成される電気電子系学類となり工学域では一番大きな規模となったことが分かります。
科学技術と学問領域の進展に対応するため、また日本経済の高度成長時代の要望に応えるため電気系学科も増講座と学科新設を繰り返して大きくなってきたことが分かります。大学は人材育成と研究開発の2つのミッションを背負っています。基盤技術と工学の基礎学問をしっかりと教育し、学術領域を継承するには小講座体制が優れていました。しかし、境界領域の学問や科学技術の急速な発展に対応するには不向きな面もありました。そこで1995年、工学部では全学に先駆けて大講座制に移行しました。小講座制の仕組みの良さは任意の教員集団である研究グループとして現在に引き継がれています。
バブル経済崩壊後、大阪府の財政は年を追って厳しくなり、2001年ごろ府立大学のありかた検討委員会が立ち上がり、府立大学のありかたが議論されました。その後まもなく国立大学の法人化が議論され、府立大学も少し遅れて府立女子大学、看護大学も含めた3大学統合と公立大学法人化が検討され、2005年公立大学法人大阪府立大学として新たなスタートを切りました。組織のスリム化と教員数の削減も大きな目的であったため、経営工学科は解体し、各研究グループはより関係の深い電気情報システム工学科または知能情報工学科と一緒になり、より教育研究の効果が上がるように配慮されました。
 その後現在に至るまで大阪府財政の厳しさは改善されず、少子高齢化の傾向と相まって、2012年には全学を学域学類課程に再編することになりました。学部低学年ではより広い学問領域の基礎を身に着け、高学年に進むにしたがって専門領域を深めるカリキュラム配置になりました。この再編で単独の学科であった数理工学科は、シナジー効果を上げるため数理工学課程として電気電子系学類に含まれることになりました。講座・研究グループを結ぶ線は複雑に交錯している時期もあります。時々の時代の要請に応え府大のブランド力を高めるため、果敢に組織再編に挑み続ける先生方の努力の証と見ることもできます。
同窓会の皆様にはこの系図を眺め、あらためて自信と誇りを持っていただき、明日に繋いていただければ幸いです。
最後にこの系図の印刷に際し、50年記念誌の別冊として発行することを決断された中辻会長と系図を見やすくするため、デザインや配色などついて印刷業者と細部にわたりこまごまと折衝して頂いた堀次期会長候補の両氏に厚く御礼申しあげます。
(以上)

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